ちょっと横道

マウントソレル村物語――英国レスターシャーで垣間見た村の暮らし

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その4
 
村のパブ

 イギリスの村といえば、必ずパブ・英国式居酒屋があります。オーナーがライセンスを持っていて、ビールなどのアルコールや食事を提供します。19世紀の小説にも出てきますが、もともとはパブリックハウスと呼ばれていました。パブリックハウスというからには、昔は何かと皆がそこに集合し、地域共同体の公民館のような役割を果たしていたのでしょう。街道沿いのパブなどでは、二階が宿になっているところもたくさんあります。

 わたしが初めてロンドンのパブを見たのは、二十年くらい前の夕方、開け放した入口から楽しそうな話し声が聞こえてきたからです。ふーむ、これがパブというものか、入ってみようかなとのぞき込みました。でも、飲んでいるのはほとんど男性で、立錐の余地もないほどです。みな大きなジョッキを片手に、立ったまま楽しくワイワイガヤガヤやっていました。もっとも座るにも椅子もほとんどありません。背の高い小さな丸テーブルがいくつか見えるだけです。その上には食べ物は載っていません。煙草の煙と人混みの向こうに、ビールなどを注文するカウンターが見えましたが、とても人を押しのけてそこまで行く勇気が出ません。それにお腹も空いていたので、早々に退散しました。つまみもなしで、よくあんなに飲めるなあと感心したものです。

 そんなパブも、ここ二十年ちかくでずいぶん変わりました。昼食を食べられるパブは前からありましたが、この頃は、料理に重点を置いたレストランのようなところ、女性でも入りやすいお洒落なインテリアにしているところがたくさん出来ました。とくに、全国展開する企業が地方のパブをフランチャイズ化して、様変わりが進んだようです。ただ、入りやすくなるのはいいのですが、特色のある地元のパブが次々と一律化されてしまうのは残念です。
 パブの庭でのんびりお茶。真ん中のパラソルを立てれば夏も快適。

 それだけではありません。「本物のビール」が好きなある友人は、個人経営のパブが減って契約パブが増えたと嘆いていました。大手ビール会社に買い上げられると、経営がそのビール会社の手に移ります。そこではそのメーカーのビールしか出しません。その友人の言うには、ビールは生きものだから、大工場から運ぶビールは味が悪くなる、個人経営者が地元のビールを買い入れて地下にある樽(カスクといいます)をきちんと管理して生きのいいビールを出すべきだ、というのです。じっさい彼は、おいしいカスクビールを守ろうという団体CAMRA(Campaign for Real Ale)のメンバーで、CAMRAのビールフェスティバルにボランティアで参加したりしています。エールとは日本に多いラガーよりも色の濃いビールで、コクも深くかつフルーティだそうです。そしてビールの温度は冷やっとした地下から汲みだされるくらいがちょうどよいようです。日本のようにキンキンに冷やしたのは、ビールの味が分からなくなるといってビール通は嫌います。
CAMRAが選んだPub of the Year。今年はウェールズから

 マウントソレル村にも少なくとも二軒のパブがありました。一軒は、昔は流行っていたのでしょうが、今では、いつ人が入るのかなというような、うらぶれたパブでした。普通なら入ることもなかったでしょう。たまたま飛び込んだのです。

 その日は、ラフバラの不動産屋で時代荘の契約を無事すませ、家の鍵を受け取った日でした。ところが受け取った4本の鍵をいくら試してみても、二つある鍵穴のうち一つが開きません。あせって不動産屋に電話を入れると、最初は、わたしのやり方が悪いんじゃないかとでもいう調子でしたが、やっと向こうも間違いに気づき、40分ぐらいしたら残りの1本を持って誰かが来てくれることになりました。「なぜ40分後!」と思いましたが、ここで切れてもしかたありません。これも、よくあるイギリス暮らしで耐えなければならない「苦労」です。明日の引っ越しに備えて、ぜったい鍵はもらっておかねば!それでしかたなく待つことにしたのですが、運の悪いことは続くもので、急に季節外れの雷鳴が鳴り、叩きつけるように雨が降り出しました。そうでなければ、少しましなカフェでも探したのですが、もう選択の余地はありません。わたしは目の前にある街道沿いのパブに逃げ込みました。

 外見は煤けたようなパブでしたが、内部は古めかしいテーブルや椅子が意外と落ち着いた感じではありました。でも、うらぶれたパブに似つかわしいうらぶれた男がひとり、カウンターのそばで昼からビールを飲んでいました。足元には大きな犬が寝そべっています。犬も男もマスターもジロッとこちらを見ました。わたしはその視線をはねかえして、できるだけ平静な顔で「紅茶は飲める?」と聞きました。「フン!」という感じで答えたマスターは、それでも「ミルクは?」と聞いて、紅茶を淹れてくれました。わたしはお金を払って、色は濃いけれど香りのほとんどないミルクティをカウンターで受け取ると、窓際の席に座って恨めしい雨を眺めました。でも、その隅の席も窓ガラスも意外と雰囲気があって、紅茶の味をさておけば、このパブも悪くないかと思ったものです。きっとその昔は、街道を歩く旅人が一息つくためにおおぜい利用したのでしょう。もっとも、「よそ者が何しに来た」とでもいうような視線が落ち着かなくて、そのパブにはそれきりでした。でも、考えてみれば、アジア人の女がパブへ入ってくれば見ずにはいられないでしょうし、しかもビールも頼まないなんて、「何を気取ってやがる」と思ったとしても無理もないかもしれません。

 ところで、ご存知でしょうが、イギリスのパブはカウンターで注文してその場でお金を払って飲み物を受け取ります。グループで行ったときは、たいてい、まずは誰かが「I will buy your drink」とまとめて買ってくれます。その1杯目をだいたい飲み干したところで、こんどは別の人間が「次も同じものを飲むかい」と希望を聞いて買いに行きます。その日に払う機会がめぐって来なかったら覚えておいて、次に行ったときはまっさきにカウンターに行って、友だちに「何を飲む?」と聞いて注文するわけです。お金のことをあからさまにするのを良しとしないお国柄ゆえの伝統でしょうか。これがイギリス式「割り勘」のやり方です。そんなに何杯も飲めないわたしなどは、このやり方に慣れるまでちょっとドギマギしました。だいたい公平な勘定になるとはいっても、どこの国にもケチな人はいるものです。そういう人は、そろそろ一巡がめぐってくるという頃になると、なぜかいつも姿が見えなくなります。トイレにでも行ったのでしょうか。まあそういう人は、仲間うちでも「またあいつか」と、とっくに評判は知られていますが。

運河のパブ

 マウントソレルのもうひとつのパブは、街道の少し外側を流れている運河沿い、ロック(閘門)のすぐそばに立っていました。そのパブからは村の外に広がる野原も見渡せて、家から10分も歩いていないのに、ここへ来ると村を出て旅に出たような気分になれました。このパブは料理にも力を入れていたので、土日はかなりのにぎわいです。庭には、大きな緑色のパラソルを立てたテーブルがいくつもあり、お天気のいい日にビールを片手に外に座って運河を行き交う舟を眺めるのは、なんとものどかで、都会では考えられない時間でした。

 わたしはときどきそこへ行き、パブが開いていなくてもテーブルを借りて、青空の下で文章のチェックなどしたものです。そういうところで読み直すと、よりよい表現が出てくるような気がしました。ある夏の午後には、1年近くかけて書いてきた一つの章がついに完成して指導教官に送ったので、乾杯したくて出かけました。ふだんは半パイントですっかりいい気分になるのですが、生意気にも1パイント(570cc)の黒ビールを頼み、ロックが一番よく見えるパラソルの下に座り込みました。

 イギリスの運河は、18世紀に産業革命とともに発達しています。石炭を産業地へ送り、出来上がった製品を輸出のために港に送ったりしたわけです。それまでよりずっと大量に物資を輸送できたのでしょう。運河の岸を馬が歩いて舟を引いたりもしたようです。今から思えば牧歌的な光景ですね。もっとも馬にはつらい労働だったでしょうが。蒸気機関車が登場し鉄道網が交通の中心になるにしたがって、運河は忘れられていきました。いまでは道路輸送が中心になり鉄道貨物も色あせましたが、いずれにしても貨物輸送での運河の出番はもはやありません。ところが、1960年代70年代ごろから運河をレジャーに使おうという動きが起こり、イギリスの運河は生き残りました。古いものを保存活用する精神がここでも発揮されたわけです。今では、ナローボートと呼ばれるカラフルな舟でのんびり休暇を楽しむ人がけっこういます。ナローボートは名の通り幅2メートルほどしかない細長い舟ですが、簡単なキッチンやソファーベッド、トイレ・シャワーまで備えたものもあって、快適なようです。
 
景勝地を行くレジャー用ナローボート      荷を運ぶナローボート (写真はいずれもWikipediaより)

 川から眺めるイギリスのカントリーサイドもいいものでしょうね。列車より低い位置から、川岸、丘や平野を身近に見ることができるわけですから。なかには、豪華ホテル並みのサービスと極上料理をうたい文句にする1週間・2週間ツアーもありました。船の舳先に腰かけて夕日を眺めながらシャンペンを味わうのは魅力的でしたが、お値段も目をむくほど豪華でした。イブニングドレスを持ち合わせていない当方としては、まあせいぜい行き交うボートを眺めながらビールで乾杯で十分です。

 運河の階段のようなロック(閘門)のシステムは、見ていて飽きません。ご存知の方もあるでしょう。ロックに来た舟はパドル(仕切りの板)を開けて閘室にすべり込みます。うしろのパドルをきちんと閉めたら、前のパドルを開けます。そして、閘室の水位が前方の運河の水位になるのをゆっくり待ってから、おもむろに出ていきます。もちろん、終わったら背後のパドルをちゃんと閉めるのを忘れないこと!ほとんどのパドルの開閉は手動ですから、ロックに来たら、誰から舟から降りて梃子か歯車の要領でパドルにつながる棒を操作します。まだ幼い少年たちが勇んで舟から降りてきて、父親に教わりながら全体重をかけて棒を回している光景を見たこともあります。運河のそばで遊んでいる少年たちが、舟が来るたびにいそいそと手伝っている場合もありました。きっと冒険に参加している気分でしょう。
  
ハートフォードシャーのロック         閘室に入った舟から見たパドル(写真はいずれもWikipediaより)

 その夏の午後は、わたしがロックのそばで完成した章を読んでいると、通りかかったナローボートから声がかかりました。そのボートには大勢の人が乗り込んで太陽を楽しんでいましたが、声をかけたのは、なんとレスターのダンス仲間でした。わたしたちは異口同音に「まあ、こんなとこで何してるの?」と叫びあいました。その舟は、障害のある人たちにも運河を楽しんでもらおうと計画された日帰りツアーで、彼女はパートナーといっしょにボランティアとしてお手伝いをしているのだそうです。支援者の誰かがナローボートを持っていたのか、それとも寄付金でボートを1日借りたのか。いずれにしても豪勢で楽しい企画です。
 「それであなたは?」彼女が聞きました。
 「わたし、このマウントソレル村に住んでいるのよ。ちょっとこの先の家に!」
 「そういえば引越ししたんだったわね。いいところに住んでるじゃないの!」
 夏に入ってダンスのシーズンは終わったので、会うのは数週間ぶりでした。わたしたちが近況を交わしあっている間に、ロックのパドルを開けたり閉めたりする作業も無事終わって、彼らは優雅に去っていきました。運河のもうひとつの利点は、知り合いと会ったらのんびり言葉を交わす余裕があることですね。なにせ、ボートの速度は歩く速度ぐらいですし、ロックに来たら、いくら気が急いても水位が落ち着くのを待つ以外ありません。水の流れる時間が人間の時間です。こののんびりした時間がイギリス人に合っていたから運河が生き残ったのかもしれません。

 ところで、去っていった二人はボランティアでそのツアーに参加していたわけです。障害者のお世話をするのは大変でしょうが、自分も景色を楽しめるわけで、思えばいい機会です。ボランティアのスタッフをねぎらう意味もあったのかもしれません。キリスト教の基礎があるからか、イギリスでは慈善活動は大変盛んです。人々は気軽になんらかのボランティアをしていました。お金のある人はお金を、ない人は体力や知恵を出すわけです。わたしも論文提出後はホームレスの人に食料を分配するボランティアをしていました。お金も力もない場合は、古着や使い古しの道具を寄付するという手もあります。じっさい、寄付された古着や道具を売る「チャリティショップ」はどんな田舎の町でも何軒もあります。不景気が続くイギリスでは、メインストリートの店がやっていけずに閉店しシャッター街になるケースが多く、ほとんどがチャリティショップに取って代わられているところもあるほどです。「商品」の仕入れはタダ、店員もボランティアで、店舗の賃貸料もある程度の補助金が出るはずので、売り上げの大半は慈善事業への寄付となるわけです。慈善事業の種類は、ガン研究、高齢者支援、終末医療のホスピス、動物保護など多様でした。なかには、こんなヨレヨレ・染みつきのTシャツなど誰が着るというんだろう?というようなものもありましたが、節約している身にはチャリティショップは大助かりです。少し割高だけれど、素敵な服や珍しい絵本を置いている店もありました。イギリスのリサイクルショップ・蚤の市事情はまた別に触れることにしましょう。

 マウントソレル村は普通の田舎の村でパブも普通でしたが、もっと生活水準が高めの村もあって、隣のクウォーン村などがそうでした。あとで知りましたが、キツネ狩りの狩猟地として有名だったそうですから、もともとお金持ちの領地の一部だったのでしょう。りっぱな門構えの邸宅が樹木の繁った道にひっそりと並んでいました。建物は古びているのも多く、外観は田園調布のお金のかかっていそうな外観に負けますが、スペースのゆったり度合いは、その比ではありません。そういう高級住宅街ですから、マウントソレルから続く同じ街道沿いでも、クウォーンの十字路にさしかかるとりっぱなパブやレストランが登場します。パブは「ホワイト・ホース」という名前で、堂々とした白い馬が描かれた看板が人目を惹きました。大学の行き帰りにバスの2階から眺めては、覗き込んだものです。少しモダンな造りのパブで、大きな窓ガラスをとおして磨き抜かれたカウンターやテーブル、いかにも気位の高そうなバーマンやお客たちが見えるのです。いつかは入ってみようと思っていたのですが、なぜか機会が来ずじまいでした。ちょっと気おくれしていたのでしょうか。もっとも、気おくれするようなパブは、パブとしては邪道だと思うのですが、これは負け惜しみでしょうか。

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