モリスが発した反戦宣言 
            ―― ロシアとの戦争の危機に際して

by William Morris in 1877
翻訳:城下真知子
(注:この翻訳文章は『素朴で平等な社会のために』で、バージョンアップされています)

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  ■『宣言』  英国の労働者たちへ
             正義を愛する者   ウィリアム・モリス

 我々を戦争に引き込もうとしているのはいったい誰なのだ? 英国の名誉を救済するという者たち、ポーランドの擁護者たち、ロシアの邪悪な行為を罰するという者たちの正体を見てみようじゃないか!

 それは証券取引所の欲深い賭博師、陸海軍の怠惰な士官たち(哀れな者たち!)、クラブに集うくたびれた皮肉屋の紳士たちだ。そして、戦争で失うものなどない上流階級ののんびりした朝の食卓に、刺激的な戦争のニュースを届けようと必死の売文の徒たちだ。

 最後に真打ちを務めるのは国会の保守党トーリーだ。もっとも、その保守党を前回の選挙で「代表」として選んだのは、愚かにも、平和や理性や正義に飽き飽きした我々なのだが。

 保守党を率いる老獪な出世主義者の大将ベンジャミン・ディズラエリは、ビーコンスフィールド伯爵にまで昇りつめ、その高見からイギリス国民の不安な顔をニヤリと見下ろしている。

 ディズラエリが虚ろな心と狡猾な頭脳で企んでいるのは、武力衝突だ。それはおそらく我々の破滅をもたらすだろう。そうでなくても混乱をもたらすのは間違いない。

 なんたる不名誉、なんたる恥辱。こんな指導者のもとに行進し、敵でも何でもない人たちに対して、ヨーロッパに対して、自由に敵対して、自然に敵対して、世界の希望に敵対して、不当な戦争を挑むだなんて。

 英国の労働者たちよ、もうひとつ言っておきたい。君たちは気づいていないかもしれないが、この国の一部富裕層の心の底には、苦い嫌悪――自由と進歩に対する嫌悪が横たわっている。

 彼らの新聞は上品そうな言葉でそれを覆い隠しているのだ。信じられないなら、彼らだけで交わす会話を聞いてほしい。私はそれを嫌というほど見聞きしてきた。彼らの愚かさと傲慢さを知ったとき、君たちの胸に浮かぶのは、はたして軽蔑だろうか、それとも怒りだろうか。

 彼らは常に、冷笑や侮辱を込めて君たちの階級や目標や指導者について語る。もし彼らが権力を持てば(それくらいなら英国が消滅したほうがましだが)、君たちの正当な望みを妨害し、君たちの声を抑圧し、無責任な資本のもとに君たちの手足を永遠に縛りつけることだろう。

 敢えて言おう。彼らこそが、我々を不当な戦争に引きずり込もうとしている政党の大黒柱だ。

 いったい、ロシアの人々は君たちの敵でなどあるのか? 私の敵でなどあるのか? 保守党を支える富裕層こそが、正義にとっての敵ではないか。現在はまだ我々を傷つけることはほとんどできていない。だが、もし混乱と怒りのうちに不当な戦争がもたらされればどうなる。そうなってから彼らの力の大きさや、事態がどんなに後退したかを語っても意味がないのだ。

 わが仲間、労働者諸君、そこにこそ注意を払ってほしい。

 そして、正すべき不正があると思うなら、
 君たちの身分を着実に平和裏に高めるというもっとも尊い希望を抱いているのなら、
 知識と、ゆとりある時間を渇望するなら、
 始原いらい我々の障害となってきた不平等を減らしたいと切望しているなら、
 どうか、ためらいなど捨てて立ち上がり、不当な戦争に反対だと叫んでほしい。

 そして我が中流階級に対しても、「同じようにせよ」と強く求めてくれたまえ。

                       1877年5月11日

  ■1876年から1877年にかけて起こった戦火の危機――「東方問題」
〔訳者より〕

1856年に終了したクリミア戦争を経た後も、オスマン帝国(トルコ)の衰退は止まらなかった。崩れゆくオスマン帝国が支配する東欧の覇権をめぐって、ヨーロッパ列強の角逐は激化の一途をたどっていた。とりわけ、クリミア戦争でトルコと同盟を組んだ大英帝国と、敵対したロシアとの対立は深まっていた。

 崩壊しつつあるオスマン帝国内部では現地住民の蜂起があいついだ。とくに、1876年4月から5月にかけてブルガリアで起こったクリスチャン系住民の蜂起は大規模で、これへの容赦ない弾圧は「ブルガリア虐殺」として徐々に事態が明らかにされていった。この虐殺は欧州全体で問題となり、ドストエフスキーやツルゲーネフ、ビクトル・ユーゴ―、若きオスカー・ワイルドなども抗議の声を上げた。

 このようなオスマン帝国の蛮行にもかかわらず、イギリス政府はトルコと同盟を組んでロシアへの対決方針を取っていた。この問題は「東方問題」として、世間の関心を呼んだ。野党政治家グラッドストーンは、保守政権の戦争政策に先頭に立って反対した。

 反戦世論の盛り上がりのなか、1876年11月に「東方問題協会」(EQA)が結成された。このとき初めて政治運動に参加したウィリアム・モリスは、素人ながら財政部長に就任する。EQAには、そのほかにも、チャールズ・ダーウィン、ジョン・ラスキン、作家アンソニー・トロロプなど著名人が名を連ねた。

 1877年4月24日にロシアがトルコに宣戦布告し、事態はさらに風雲急を告げた。そこで5月11日、モリスは先に掲げた『英国の労働者たちへ』という『宣言』を発する。
 1883年に「社会主義者」宣言する6年も前に、モリスが、戦争反対の先頭に立つべきは労働者階級だと実感していたという点は、注目に値する。

 (運動自体は、盛り上がりにもかかわらずグラッドストーンが政府方針に屈して敗退した。その間の苦い経緯はモリスの手紙・1878年を参照)
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