現状の下で、最善をめざすために           
――デザインとインテリアのいくつかの基本
   その1

by William Morris in 1879
翻訳:城下真知子(小見出しは翻訳者がつけました) 2021/4/17

その2に進むリストのページに戻るトップページに戻る

習得のための職人ギルドと、バーミンガム芸術家協会のへの講演
  ■今夜は、私の工芸の経験のなかで

 今夜は、私の工芸の経験のなかで気づいたこと、実践を導くルールや原則として形づくられてきた点について述べてみよう。誰でも、長いあいだ工芸を実践してくれば、こういうルールを持っている。そして、自分自身がそれに則るだけでなく、どんな形であれ師であるなら、自分の弟子や職人に対してもそう実践するように主張せずにはいられないだろう。このようなルール(あるいは衝動と言ってもいい)が多くの工芸職人の心を満たし、同時に手も導くとき、着々と確固たる一つの派が形成される。そこで表現された芸術は、たとえ少々未熟で自信に欠け、足りない点があるとしても、少なくとも間違いなく現に存在している。そして、そのルールが確固としていればいるほど、衝動は広がり、創りだされた芸術は生き生きしたものになる。だが、ルールや衝動がか弱くて希薄にしか感じられず、同胞から見れば馬鹿げていて些末だと見られる時代には、芸術は病んでいるか、眠っているかだ。あるいは、大多数の人のあいだでは薄っぺらに広がっているだけで、世間一般の生活にはほとんど何の影響も与えていない。
 
 人によっては、このような工芸のルールを気まぐれだと思うかもしれない。それは、それらのルールが、込み入った状況が組み合わさって生まれたからに過ぎない。偉大な哲学者のみが(もしできるとしたら)、なぜそうなったかを言い表し、理由を解明してくれるだろう。だから、私たち工芸職人は、その根源は人間の本質にあると信じて、実践で証明することで満足すべきだ。とはいえ、私たちは、その最初の成果が、芸術の歴史――すべての歴史の中でもっとも素晴らしい歴史――の中で見いだされることは分かっている。

 皆さん、だから、私を、多くの人と一定の衝動を共有する一人の工芸職人、その衝動が自らに課すルールを疑問視するなど考えられない工芸職人、そうみなしてもらえるだろうか。そうすれば、仮に少し独断的だと思っても、まあ仕方ないと大目に見てもらえるだろう。

 私は、何か1つの技を代表すると言うことはできない。そもそも、分業というものは、商業競争の推進に大きな役割を果たしてきた。いまや、分業は再生産力と破壊力を持ったシステムと化した。あえて抵抗する者などほとんどなく、結果をコントロールしたり予想したりする者は誰もいない。分業は、私が生涯を賭ける芸術という人間文化の分野に、とりわけ大きな困難を強いている。人間の喜びや希望や慰めの大半は、芸術によってこそ生み出されるが、その芸術という分野が、分業によってひどい目に会っているのだ。かつては商業競争の召使であった分業が、いまや、その主人となり、商業競争自身も、そもそもは文明の召使であったはずなのだが、いまでは文明を従えて主人となっている。それどころか、この圧政はあまりにも強烈で、私のささやかな労働分野を通り越して、いろんな形で私に立ちふさがっている。おそらく主にそのせいで、芸術実践者が切望する仲間の助けを得られず、多くの技を学ばざるを得なかったのだろう。だが、おそらく格言にもあるように、どれに精通することもできない。だから、私の今夜の講演は、多くの分野に渡り過ぎて、しかも、一つひとつは掘り下げが足りないと思えるかもしれない。

 だが、仕方がないのだ。いま述べた圧政は、私たちを本来の満ち足りた工芸職人ではなく、圧政に抵抗する不満に満ちた活動家に変えてしまった。だから、作業場のやり方や原理を語るときですら、私たちの心は落ち着かない。じっさい、正直に申し上げれば、わずかな望みでもなければ、私は芸術に関するすべての物事から身を退いて沈黙したいほどなのだ。自分や仲間たちを奮起させて、現状への抵抗と不満を湧き上がらせるという、わずかな望み、さらには、不満が実を結び、反逆が確実となるという希望、それにすがりついているからこそ語るのだ。少なくとも、人生の終わりにはそうなるのでは……と。なぜなら、私たちは自然の法則に逆らっているのではないからだ。抵抗しているのは、馬鹿げた慣習なのだ。

 しかし、反逆者といえども生活しなければならない。それにときどきは、休息と平穏を心から欲するものだ。いや、闘いを遂行するための、いわば拠点を作らなければならないのだ。だから、今夜の講演で、現状をいかに最大限活用するかを検討したとしても、矛盾していると責められるべきではないだろう。現代の奇妙な住居、人間が自分のために建てた建物のなかで、もっとも卑しくて醜くて目的に合わない住居、私たちほとんどすべてが愚かにも必要に迫られて、軽率にも暮らさざるを得ない住居。どんな先見や努力や忍耐を注げば、この住処が耐えられるものになるか? これが現在の課題だ。 

  ■中流階級の住居を取り上げる

 この課題を論じるにあたって、私は主に、一番よく知っている中流階級の住処を取り上げる。それでも、他の住処についても応用できるだろう。なぜなら、規模の大小にかかわらず、現代の家屋には品位も設計プランの統一性も欠いているからだ。まとまりの中心になってもいなければ、個性もない。どれも、ただ偶然にいっしょに寄せ集まった部屋の集合にすぎない。だから、家というよりも、部屋を単位として語ることになるだろう。

 このなかには、私たちの祖先がいわば魂を込めて建てた気高い建物に住んでいる、幸運な人もいるかもしれない。現代の人間にとって、最高の幸運だ。そういう幸せな人たちは、同情的な傍観者に過ぎず、今夜の私たちの悩みとは無縁だ。彼らには、当然にも愛しているはずの場所への義務を忘れないように、と言うしかない。ときどきの思いつきや便宜のために、建物を変えたり痛めつけたりしてはいけない。先人が建てたおかげなのだから、先人たちが悲しんだり傷ついたりしないように、時代を経た家が健在だと喜ぶように扱うことだ。そうすれば、それらの家は忘れられることもなく、将来も感謝されることだろう。

 ここには、気高さとは無縁の家に住む人もいるだろう。いや、先に述べた家と比べれば、むしろ粗悪とすらいえるかもしれないが、それでも、まだその頃の建築者は、時代の芸術のなんらかの伝統を保持していた。少なくとも、心を込めてしっかり建てられており、ほとんど美的とは言えない場合でも、ある程度の常識に基づき、便宜にかなった形で建てられた。時代の作法や情緒も代表していないわけではない。こういう家のうちで初期――クィーン・アン時代(18世紀初頭)――のものは、ゴシック様式(12世紀〜15世紀)に手を伸ばしており、画趣に富んでいる。とくに、周囲が美しいと映える。ジョージ王朝後半に建てられた建物は、確かに画趣には欠けるが、先にも述べたように、実質的であり便宜にかなった家だ。
 いわゆるクィーン・アン様式や、明確にジョージアン様式のこうした家々は、かなり装飾が難しい。それらは無視しえない一定のスタイルを保っているからで、とくに、デザイナーにロマンス(訳注:モリスのロマンスとは「過去を現在に再現すること」)を重んじる傾向が少しでもあれば、難しい。また、こうも言える。建築当時には生きていなかった者にとっては、どんな原理であれ原理に則っておらず、単なる気まぐれが特徴となった様式に、共感するのは不可能ということだ。そうはいっても、それらの建物は、最悪の場合でも、むかつくほど醜くて下品ということではないので、暮らすのは可能で、仕事や思索ができなくて困り果てることもない。だから、現代生活全体を覆い尽くす暗さや醜さと比べれば、クィーン・アン様式やジョージアン様式の建物はうららかな場所になっている。

 しかし、私たちは、反逆を推進するためにここに集ったのだが、その反逆がすでに開始され、いまや芽を出しつつあることを、忘れてはならない。なぜなら、近ごろあちこちで、月並みな設計士、過去の様式を机上で真似る者などが設計したとは思えない家々が、造られているからだ。もちろん、実験的な試みかもしれないが、思想や原理抜きに建てたとは言えないし、デザインの才能も大いにある。それらを批判するのは、まったく今日の課題ではない。おそらく、製作者たちはその家を造るために、自分のせいで生んだのではない多くの困難を経てきただろうし、誰よりもその欠点を自覚しており、成功したと有頂天になっているわけでもない。いずれにしても、良き時代であろうとなかろうと、彼らは国の宝であり、常に敬意を払うべきだ。彼らの先見性と努力と望みに対して、心から感謝するよう呼びかけたい。

 ■食べ、眠り、学び、友と会話する部屋を最善にするには

 さて、私はこれまで、現代にのみ見られる住居の劣悪化について、3つの特徴を述べてきた。

 第1に、わずかだが、芸術の時代から残されてきた家がある。まったく少ないので、ときどきは目にして楽しめるとはいえ、それ以外は、大半の者にはほとんど縁がない。

 第2に、芸術が病み、死んだも同然の時代でも、人々は、必ずしも建築を厄介なことと断念したわけでない。少なくとも、体系的に劣悪な建築術を学んだわけではない。しかも、望みのものが手に入り、建築に暮らしを表現できた。そういう時代に建てられた家は、国内にまだかなり多く残っている。だが、それらも、抗えない競争という力の前に減少しつつあり、すぐに珍しくなってしまうだろう。

 第3に、今夜集まって進めようとしている下劣な醜さへの反逆、それを導く者によって建てられて住まれている家も、わずかだが存在する。それが本当に数少ないことは明らかだ。そうでなければ、そもそも皆さんは、私の素朴な言葉などを聞きにここに来ようなどとは思わなかっただろう。

 もちろん、これは例外的だ。残りが、現実に大半の人が住んでいる家だ。美への希望や心配りとは無縁な家で、普通の住いでも、見ただけで喜びを得ることがあるのだとはまったく考えられていない。しかも、(このように人間性を無視しているために)現実的便宜性など、何も配慮していない。誠実で、自由で自立した生活を送り、思索の向上や他人への思いやりを持っている――そういう人間のために、こんな家が建てられるなんて信じられない、と思える日が、いつかそのうち来てほしいものだ。そんなものはかけらもなく、偽善とお追従、無責任な自己本位が体現されてしまっている。
 実のところ、家はもはや暮らしの一部になっていない。私たちは家を建てるのは厄介ごとと諦めてしまったのだ。家が私たちの本質を何も示さず、一個人としても国民としても最悪の特徴を表してしまっているのではないか――そう問うことすらしない。

 この非人間的な無頓着さ、こんなにも文明に有害で、後に続く者に対しても不当な無頓着――この無頓着こそ、私たちが人々から振り払いたいことだ。人々に、自分の家について考えてもらいたい。心も体も自由な人間にふさわしい住処に変えるために、努力してほしい。そうすれば、そこからいろんなことが生まれるに違いない。

 さて、その目的に向かう第1歩は、わが国のやり方――しばしば、本当にかなりしばしば、現実的と呼ばれるやり方――に従うことだと思う。しばらくのあいだ、ほとんど実現し得ない理想は脇に置いて、人々に、手に入る間に合わせを最大限利用して何ができるかを考えてみよう、と思わってもらうのだ。間に合わせの代用品を一度に取り除くことはできないのだから。

 その実現には小芸術(装飾芸術)が欠かせないだ。だが、賢明で才気煥発な多くの人は、小芸術は良識的人間が注目するに値しないと見なしている。しかし、私が語りかけているのは芸術家の仲間だから、その程度の賢さや機知を越えており、すべての芸術の重要さを知っているはずだ。しかし、すでに芸術の十分な満足や喜びを感じている皆さんに対して、わずかな満足や喜びを加えるだけだと私が考えるなら、この課題で皆さんの関心を得ることなどできないだろう。言ってしまえば、私が人生そのものの目的を間違ってきたか、それとも、健やかな小芸術の問題は、すべての工芸職人(芸術家と呼ぶが職人と呼ぶかはともかく)の幸せと自尊心に関わっているか、なのだ。
 だから、もう一度言おう。自分たちが食べ、眠り、学び、友と会話する部屋を最善にするにはどうしたらいいか、それを注意深く考え始めた人たちの心に、健全で実りある不満を生み出したいのだ。つまり、いくら最善を尽くしても、何か薄汚さが自分の快適な島を取り囲むという不満だ。そして、この不満を鎮めるには、すべての人間労働は自由な人間にふさわしいものであるべきで、人間機械がするようなものであってはならないと主張する道しかないと、見いだしてもらうことだ。
 私の途方もない望みは、いつの日か人々が芸術というものを知って、もっと芸術を求めていくようになることだ。そして、私が見つけたように、すべての人が美しい家のなかで、するにふさわしい仕事を持つ権利があることが一般的認識となる以外に道はない、とわかってもらうことだ。誰にも破壊しがたい人生の喜びは、すべてそこにある。それ以上を望む必要はないし、それ以下ではいけない。それが不足するようでは、生まれながらの権利から締め出されているわけで、無駄で不当なことだ。

 ■まず、庭について

 さて、それでは、現状の中で最大限何ができるかのヒントを述べようと思う。だが、最初に許しておいていただきたいのだが、「これはしないように」というかなり否定的なアドバイスをすることになるということだ。これは、ご存知のように、改善を伝える者がよく言うことだ。

 室内に言及する前に、いや、外観を見る前に、まず庭について考えよう。主に、街にある庭(訳注:公的なものに限らず、街を歩ける広い庭)をどうするかについて述べる。私も、試した多くの人にとってもそうだろうが、これは相当困難な仕事だ。何よりも、都会での人間らしい生活に欠かせない一つのもの、つまり木々に対して心する者が、本当にほとんどいないからよけいだ。家で仕事をしていると、斧の響きに震えるようになっているほどだ。しかし、困難な仕事かどうかはともかく、現状でしっかり最大限のことをしようと思えば、街の庭園を無視するわけにはいかない。

 都会で庭づくりをする人たちは、どうも逆のことをしがちだと言わざるを得ない。たとえば、ロンドン郊外の庭づくりをする人たちは、ランドスケープ・ガーデン様式の大きな醜い庭を馬鹿々々しくも模倣して、わずかな砂利道や芝生を曲がりくねって設置しがちである。その上、奇妙な強情さで、手に入るかぎりもっともフォーマルな植物で、スペースを埋め尽くすのだ。だが、常識を持っていさえすれば、狭い土地をシンプルなやり方でレイアウトしたことだろう。その土地をできるだけきっちり道路から囲って、(十分な大きさがあれば)別々に区切って、花を育てるスペースは、どのような複雑さを醸し出すかは自然に任せて、自由で趣きのある花を植える。草花栽培家に頼ったりしないかぎり、自然は間違いなく良い仕事をしてくれる。草花栽培家は、草花自体を生かすところを問題を難しくしている。

 草花栽培家の花の扱いに触れるのは、逸脱でも何でもないだろう。それにこれは、美への思索抜きの改革、改革のための改革を適切に浮き上がらせることになる。改革のために改革を求める考え方は、いつの世も、芸術の劣悪化に大きな役割を果たしてきた。
 たとえば草花栽培家がバラをどう扱っているかを注目してほしい。バラは遥か昔から重弁で咲いていた。八重咲きのバラは、私たちに授けられた新しい美で、世界が得た宝gainであり、野バラはどの生垣にも生えているのだから、それで何かが奪われたわけではない。野バラがほとんど改良されていないと言っても、誰も非難しないだろう。道端の茂みの野バラほど、全体としても、細部においても、美しいものは他になく、その香りほど甘く純粋なものはないからだ。けれども、その一方で、庭に咲く園芸種のバラも豊富な形で新しい美を添えてきており、その葉も野バラの素晴らしく微妙な質感を失ってはいない。頬を染めたような紅色からダマスクまで多くの色合いが加えられ、それら全体が純粋で本物である。そして、香りは確かに野バラの甘さを少し失っているが、それでも清冽であり非常に豊かである。
 これは、草花栽培家――満足するということを知らない者たち――がバラに手を出すまでは、今日までかなり残っていたのだ。彼らは大きさに手を付けて望みを手に入れた。草花栽培家のバラの見本は、中程度のちりめんキャベツくらい大きい。彼らは強烈な香りを得ようとして、その結果できた香りといえば、どうやら、しばしば、ちりめんキャベツ(それも最良の状態でなくったときの)の香りではないかと思わせるしろものだ。強烈な色合いも欲しがって手に入れた。まるで征服者のように強烈であくどい色だ。だが、この過程で、彼らはバラという花の本質を見失った。彼らはバラを冗長と贅沢さとしか考えていない。それを強調するあまり下品になり、豊かに混ざり合った絶妙に微妙な形、デリケートな質感、甘やかな色合いを投げ捨てた。それは、庭にさく本物のバラが他の多くの花と共有するものだが、それでいて、バラをすべての花の女王、花の中の花たらしめるものだ。
 じっさい、最悪の問題は、これらの偽物のバラが、本物を追いやっていることだ。私たちがなんとかしないと、子孫たちはバラのなかでも一番美しいオールド・ローズのことなど何も知らなくなるだろう。あるいは、深緑色の茎と比類なき色合いのブラッシュ・ローズや、清冽さを失うことなく豊かな香りを遥か遠くまで運ぶ、東洋の真ん中が黄色のバラもそうだ。これらすべてを知らないままになってしまう。そして、昔の詩人たちはバラの美しさについて、まったく誇張し習慣に従って歌っただけだと非難することになるだろう。

その2に進むリストのページに戻るトップページに戻る

※この翻訳文の著作権は城下真知子に帰します
翻訳文を引用したい方は、ご連絡ください