文明における建築術(総合的芸術)の未来 その1

by William Morris in 1881
翻訳:城下真知子(小見出しは翻訳者がつけました) 2018/6/3

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ロンドン協会(のちのロンドン芸術大学)の聴衆に対しておこなった講演
  ■訳者から

 ここでモリスが言う「建築術」とは、モリス自身が冒頭で説明しているように「日常的に必要なものを芸術品として作る(すぺ)のすべて」を指している。
 この論文でモリスは、「教養」ある中流階級に苦言を呈し、「下層階級」と呼ばれる労働者が実は変革のカギになることを直観的に示している。この論文が1883年にモリスが社会主義者宣言をする前に書かれている点が重要だ。
 同時に、中流階級の「教養」が本当に芸術を尊重するもので19世紀社会を変革しようと思うなら、「炎の河」を飛び越える勇気が必要だとも言っている。この時点で、「中流階級」出身であるモリス自身は、たとえ多くの友と決別することになろうとも、自分自身は炎の河を超える決意をしていたのだろう。
 またこの論文では、「文明はこんなことを目指したはずではなかったはずだ」という言い方で文明をとりあげている。のちには、モリスはもっと踏み込んで、「文明への嫌悪」という言い方をしている。

  ■「建築術」とは一つひとつの芸術が調和し統合したもの

 おそらく多くの皆さんにとって、建築術という言葉は建物を鑑賞に堪えるように見事に建てる術という意味を持っているだろう。私にとってこの芸術実践は、人間が手をつけられることのなかでもっとも重要なことがらだ。それについて考えることは、まともな人間が注意を払う価値のあることだと思う。必ずしも職業として関わらないとしても、たった1時間かそこらではなく、相当の生活時間を割く値打ちのあることだ。

 しかし、たとえその芸術自体は気高い芸術で、とくに文明の時代に特徴的な芸術であるとしても、それだけで存在してきたわけではない。建築術以外のすべての工芸を育み、また逆にそれらによって育まれなければ現に存在し進歩することもできない分野なのだ。私が工芸と呼ぶのは、人が意図して作るものを美しくし、過ぎ行く今日を越えて明日に伝わる何かを残すような、そうした営みのことである。

 相互に助け合い、一つひとつが調和しながら支えあう芸術のこうした統合、これが、私の学んだ「建築術」という考えだ。今晩の講演でこの言葉を使うときは、そういう意味で使っているのであって、それ以外ではない。

 ■建築術を考えることは人間を取り巻く環境全体を考えること
     人任せにはできない

 人間の暮らしを取り巻く環境全体を考慮するということなのだから、これは大変大きなテーマだ。私たちが文明を構成する部分であるかぎり、それから逃れることはできない。なぜなら、これは、まさに地球の表面を人間の必要に応じて形づくったり変更したりするということを意味するのだから。人間社会のまったくの外側にある砂漠なら別だが。

 同様に、建築術への関心を一握りの教養人の手に委ね、彼らに探求したり発見したり形づくったりしてほしいと頼んで、横に立って出来栄えに驚き、せいぜいどうして作られたのかを少しだけ学ぶということでは済まされない。地球の美しさをきちんと見張って守る任務は、私たち一人ひとりにある。祖先が私たちに残してくれた宝の価値を損なって子孫に渡すことのないように、一人ひとりが心を込めて自分の手で任務を果たさなければならないのだ。

 それに、この問題をそのままにして、いつかあとで取り組むとか、子孫にまかせるなどとのんびりしている時間も残されていない。なぜなら、人類はあまりにも今日したいことに必死で、常に忙殺されており、昨日の望みやそれがもたらしたことを簡単に忘れてしまっている。それに、どんな探求目的であろうと完成したいと思う気持ちをなくしたとたん、速やかに確実な腐敗が始まり、生きているものも死に絶え、すべてはすぐ忘れられてしまう。
 もちろん、いろんなことをする時間はあるだろう。砂漠に人を住まわせること、国と国とのあいだの壁を壊すこと、人間の魂や身体の構造の最深の秘密や私たちが呼吸する空気や歩き回る地球について学ぶこと、そして自然のすべての力を私たちの物質的要求のために制圧すること――そういう時間は十分あることだろう。
 だが、地球の偏りのない美しさに目を向けそれに胸を焦がす時間の余裕は残されていないのだ。波のような打ち寄せる必要性という人間の欲望が地球の美を拭い去り、かつての希望に満ちた砂漠を望みのない牢獄にしてしまわないようにするためには、余裕はないのだ。人類が苦労し努力して、ついに地球上のすべてのものを征服し自分の足の下に従えたのに、それ以後、幸せとは無縁な人生を送らなければならないなんて、そんなことにさせないためには時間がないのだ。
 
 じっさいのところ、地球のどんな表面でも、ひとたび文明の慌ただしさや無頓着さで台無しにされてしまったら、それを回復するのは大変な仕事になる。いや、ほとんど直しようがない。なぜなら、自然が私たちに埋め込んだ本能的欲望、どんな形でもいいから生きたいという欲望と、その結果としての恐ろしくも急激な競争の増殖は、人間の心から他のすべての希望を捨てさせてしまい、鉄の壁のよう立ちはだかって他の道を閉じてしまうからだ。損なった力に匹敵するほどのパワーでない限り、破壊された場所を回復し、希望と文明の場に戻したりすることなど絶対にできない。
 
 だからこそ、私は皆さんに、建築術がどうなるかについて、つまり、人間の住処である地球の美しさということについて、心を砕いてほしいと頼んでいるのだ。いくら避けようとしても、それについての望みや恐れは私たちにつきまとうものだ。私たちみんなに関係することだし、全員の協力が必要なことだ。それに、できることは直ちに手を付けなければならない。1日でも対処を怠れば、人智を超えた力が突きつける問題はさらに山積みされていくだろう。私たちが対処しなければ、そのうち、平和と繁栄の力によってではなく、暴力と破壊を呼び出して取り除かなくてはならなくなる。

 私はこの訴えをするにあたって、無責任な人、つまり、文明の一部である私たちに全体としての責任があることを認めようとしない人に対して語っているつもりはない。中流階級の教養人のなかに、私たち自身の時代に地球の偏りのない美しさに対して起こっていること、つまり「建築術」の進歩に対して私たちがやってきたことの責任を認めない人がいるなら、私はそういう人々に関わる気はない。そもそも、そういう人は私の言うことなど聞かないだろうし、私だってそんな人に言う言葉は持たない。

 ■地球の美しさの破壊に無頓着な中流階級の「教養人」

 だが、それほどではなくても、このなかにも、問題の責任は理解していても、現在の「建築術」の状態にかなり満足しているために、それにまつわる義務など簡単だと思う人もいるかもしれない。でも、そういう人でも、人の住処で、まだどこか美が残っているところと、醜さに覆われているところとの奇妙な対比に気づかないはずはないだろう。ところが、彼らはそれが当然であり不可避だと思っていて、別に気にしていない。彼らはときどき美しい場所を見に行き、その記念に自分たちの醜い住居に安置するための装飾品として2、3の物を集めることで、文明と芸術に対する義務を果たしたつもりになっている。
 そうでない人はどうか。彼らは、すべての古い町が――ほとんどの家が古い町という意味だが――美しくロマンティックであり、現代の町が醜くて平凡であるのは当然で、別に何も悪いことではないと思っている。彼らにとっては、この美醜の対比は文明にとって重要なことだとは思えず、1つの町の建物が古くて、他の町のそれは現代的だというだけのことと思っている。仮に、彼らが古代芸術と現代のそれとの比較をそれ以上考えてみようとしたとしても、別にその結果にがっかりしたりしない。そこここに改修がなされていることを目にしても、それは当然のことで、芸術は生きており健全に進むべき方向に進んでおり、現在もそうであるように、永遠に生き続けると考えるだろう。
 
 この無頓着な自己満足が、芸術に対する中流・教養人の一般的態度だと言ってまちがいないだろう。もちろん、彼らが少しでも真剣に考えてみるなら、現代の文明が必然的に醜さを生み出しているのか気づき、びっくりして落ち着かないことだろう。そのように考えたら、きっと、これは当たり前のことでも正しいことでもないと考え始めるにちがいない。一生懸命に頑張って、こんなことを目指そうと文明を作ってきたはずではなかったと分かることだろう。だが、彼らは真剣に芸術について考えようとはしない。正そうという心の準備のない邪悪は目に見えないという自然の法則によって、彼らが守られているからだ。
 
 これまでのところはそうだった。だが、そのような守りがいつか解けないという保証はない。それはすべての真の芸術家の任務となるだろう。そして、暮らしを愛するすべての人間の任務となるだろう。その守りを突き破り、教養人もそうでない人も不満と闘争の世界へと駆り立てる――そのために努力することは、たとえ難問であっても、穏やかな死よりはましだ。
 
 だからこそ、過去の芸術と現在の芸術の違い、かつて形づくられた人間の住処の普遍的美しさと現在の住居の普遍的醜さとの違いが、文明にとってもっとも重要なことであり、それは多くのことを物語っていると言いたい。少なくとも、やみくもに芸術を破壊する残忍さを示すものだ。芸術を破壊して、いったい、それ以外の何を生き残らせようというのか。芸術は病んでいる。ほとんど死にかけている。間違った方向に進んでおり、その道を行き続ければ、速やかな死が待っているだけだ。
 
 さて、おそらく皆さんはこう言うだろう。中流階級の芸術に対する一般的態度が、物事の不健康な状況に対する無頓着な自己満足だと言うんだったら、彼らが全体として芸術を気にかけていないこと、それゆえ、いくら芸術が死の危機にあると(真実を基礎にして)言っても別に怖がりもしないということを、私は認めたのではないか、と。そして、人々に不満を自覚させ闘いに立ち上がらせようと努力するなんて、無駄なことをしているだけではないか、と言うだろう。


 ■少数の金持ちのものになった芸術は死にかけている
 
  確かに、私は、率直な物言いで皆さんの気分を害する危険を冒している。その上になお、中流階級の教養人は一般的に言って芸術のことなど気にもかけていないとしか思えないと言っているわけだから。それでも私は、この問題に関する思考を彼らに喚起することは有効だと思うから、どんなチャレンジにも応えるつもりだ。だから、言おう。彼らは芸術がどういうことかが分かっていないし、失ったらどうなるかも分かっていないから、芸術を気にかけていないのだ。教養があるということは金持ちということだが(訳注*)、ということは、彼らは同時に厳しく痛い必然のもとにあり、昨今のあまりにも無慈悲な商業競争に追われ続けている。現代の商業競争のシステムは完成に向かっていると私は思いたい。つまり、その終焉と変革に向かっていると思いたいということだ。
 文明時代に組織化されている何百万人もの現代労働者は、日々のパンを得る手段以外のことは、ほぼ、真剣には考えられない。芸術のことなど知らないし、それは暮らしに何の関係もない。数千人の中流階級の教養人にとって運命は必ずしも思っているほどいつも優しくはないが、だとしても、彼らは運命のめぐりあわせで生活のための物質的必要性とは無縁なところにいるわけだが、それでも精神的にはそれに縛られている。生きるために働かなければならない人々、労苦するために生きている人々の過酷な苦しみは、中流の彼らにも反映し重くのしかかっており、彼らは芸術を大事なものとして考えられない。芸術を玩具としてのみ知っているだけで、暮らしを助ける大事なものと思っていない。芸術など、金持ちの良心の重荷を軽減することもないし、貧しい者の疲れを軽減することもない――そうとしか彼らには思えないのだ。芸術が何を意味するかが分からないのだ。
 先にも述べたように、中流階級は、労働が現在のシステムで組織化されているように、芸術も現在行われているシステムで永遠に進むはずだと思っているのだ。少数の者によって少数の者のために実践され、知的な関心と精神的洗練を生まれながらの権利と見なす者たちの生活に、わずかな関心とわずかな洗練を付け加える、そういうものだと思っているのだ。
 
 いや、いや、そんなことはありえない。もし仮に、1階級が完全に洗練されていて、他の階級はまったく荒々しいままという人間の状態を耐えなければならないのだとしたら、芸術はそんな奇怪なものが存在することなど許さず、道を封じてしまうに違いない。そんな「洗練」など芸術とは無関係だし、芸術の助けを借りずに存在するだろう。芸術は金持ちの奴隷として生きることも、貧者の永続的奴隷制度の証しとして生きることもできない。それくらいなら死んでしまうだろう。芸術の死によって世の暮らしがむごたらしいものになるなら、金持ちはそのむごたらしさを貧乏人と共有しなければならない。
 
 もちろん、いつの時代にもいるように、芸術は贅沢とほとんど同じようなもので、贅沢と手を携えて進むものだと考えている善意の持ち主もいることだろう。しかしそれは、根本から誤った考え方であり、芸術にとってもっとも有害な考えだ。その点については、時間があればいくらでも例を上げることができるが、そういうわけにもいかないので、1つだけ上げることにしよう。それで十分だと思う。

(訳注*):ここでの「教養人」「教養ある人々」は今日のイメージとは大きく異なる。そのため、21世紀の現実と混同しないように、ここでは「教養人」を「中流階級」と置き換えて訳した。モリスがこのパラグラフで述べているように、19世紀においては教養を積む余裕のある人間は上流階級や中流階級に限られていた。いわゆる「下層階級」は生活に追われ食べるのに精一杯で、それ以外のことに関心を持つ時間もお金もなかった。だからモリスがここで教養人と言う場合は、ほぼ中流階級と同義語で使っており、そこには自分自身を含めて「教養」を持っているはずの中流階級への苦い思いがある。
           
 
 ■「豊かな」国の「豊かな」都市でなぜ公平な美が共有されていない?
 
  私たちは、一番豊かな時代に生き、世界で一番豊かな国の一番豊かな都市に住んでいる。私たちの贅沢に匹敵する過去の贅沢などないだろう。それなのに、皆さんが習慣的な盲目さで覆われた目を見開いて見れば、「芸術に対する犯罪などない」、「醜さも俗悪さもない」と言えるだろうか。ベスナル・グリーンのあばら家からウェストエンドの宮殿のような近代建築とのあいだには「完璧な公平と平等が共有されている」と言えるだろうか。そして、事態を深く真剣に見てみるならば、後悔などせず喜ぶことができるのだろうか。今言ったようなどこか有名な豪華な建物の前を通り過ぎるとき、本当に歓喜して「ああ、これこそが贅と金を尽くして実現された洗練というものだ」と言えるのだろうか。
 
 そのほかにはこういうことがある。最近、芸術の将来に関して何かよい変化があっただろうか。枯れて力のない伝統の鎖を投げ捨てる努力、同時にまた、かつては生き生きと力強く慈悲深かった伝統のなかで育った者の思想や大志を理解しようとする努力が、なされているだろうか。現代文明が自分自身でみじめに作り上げてきた洪水のような汚ならしい醜悪さ、それに対して抵抗する気概がどこかにあるだろうか。
 ひと言で言えば、私たちのなかの誰でもいい、芸術が死にかけていることに不満だと言う勇気、そしてその新生を願う勇気を持つ者がいるとしたら、それは、私たち中流階級以外の者が、芸術ではない問題で不満を感じつつも望みを持とうとしているからなのだ。私は心から信じている――馬鹿な言語習慣ゆえに私はこの言葉を使わざるを得ないが、いわゆる「下層階級」と呼ばれる人たち、物質的にも政治的にも社会的条件においても下層に置かれている階級の着実な前進こそが、私たちに可能なこと、希望できることすべてにおいて、本当の助けとなるだろう。もっとも、助ける人も助けられる人も、ほとんどそれをまだ意識してはいない。
 
 まさにこう信じるからこそ、文明のもたらす有益な進歩を信じるからこそ、私はこうして思い切って皆さんに向き合い、真の意味で芸術の世界に入るよう努力してほしいと願うのだ。その芸術とは、自然への畏敬であり、自然を飾る冠であり、地球上の人の暮らしの表現であるべきだ。
 
 この気持ちを抱きつつ、できることなら皆さんの心を動かしたいと私は思っている。何も私の訴えることすべてに賛成してほしいというわけではない。ただ、少なくとも、考えてみる値打ちがあると思ってほしいのだ。皆さんがひとたびそう思ってくれるなら、私の目的は達成されたと言っていい。おそらく、私が美しいと思うことの多くは、じっさい、皆さんにとって大したことではないと思われるだろう。いや、私が下品で醜いと思うことのなかにも、皆さんの目から見れば、あるいは気持ちからすれば、別に嫌ではないものすらあるだろう。しかし、誰もが有罪だと思いたくないことが1つあると思う。それは地球の自然美に対する無知だ。そして、芸術こそがその美の唯一の守護神なのだ。

           
 
 ■文明が強ければ強いところほど、地球は醜くなっている
  こんなことを文明は目指したのか?
 
 芸術を無視することによって、この人類の偉大な宝物に対して何がなされたかを見逃す人は、皆さんのなかにいないと思う。人類が生存する以前から美しかった地球、人類が数を増やし勢力を伸ばしていった多くの時代にも、美しかった地球は、今、日に日に醜くなっており、文明がもっとも強力なところで、事態はもっとも速く進んでいる。これはまったく明らかなことで、誰も否定はできない。皆さんは、これでいいと満足しているのか?
 
 この劣悪な変化を心の底から痛感することができない人など、私たちのなかにはほとんどいないに違いない。自分にとって特別な思い出のある土地を再訪したとき、どんなにがっかりして胸が痛んだか覚えているかと訊ねれば、ほとんどの人は私が言う意味がはっきり分かるに違いない。そこは、きつい仕事のあとで私たちをリフレッシュさせてくれた場所だ。悩みを抱えていたときに慰めてくれた場所だ。だが、今では、道の角を曲がれば、あるいは丘の上に来れば、私たちの目に映るのは、どうしようもない青いスレート屋根だ。その下にあるのはシミのついた泥色の漆喰壁か、新築の下手な出来栄えのレンガでできた下手な造作の壁だ。近づいてみると見えるのは、退屈で大げさな作りの小さな庭であり、恐怖の鉄柵や惨めな荒れた納屋だ。それらが、甘く香る野原や昔懐かしい静かな村の豊かな生垣を台無しにしている。それを見ると、心も沈み込むではないか。ほんの少しの不注意で、楽しく喜びに満ちた世界が破壊され、今では何が起こっても元に戻せないのではないかと思うと、私たちは当惑し混乱する。その当惑は、必ずしも身勝手ともいえない。
 
 まさに、私たちが何とかしなければ、いつの日か世界全体が希望は打ち砕かれたと感じてしまうと思うと、私たちは混乱し気分が悪くなるではないか。文明が目指したのはこんなことではないはずだ。昔ながらの村に新しい家が加わる――それになんの害がある? それは前進であって損失ではないはずだ。成長と繁栄の印であって、昔から村を愛する人が見ても楽しいことのはずではないか? 新しい家族が元気にやってきて、私たちが愛した場所のささやかな喜びと仕事を共有する希望が生まれるはずではないか。これは悲しいことではなく、新鮮な喜びであるはずだ。
 
 ■進歩が美の蓄積となった時代が、かつてはすぐそこにあった

  そう、そのとおりだ。そして、かつてそうだった時代があった。新しい家は確かに、花が咲く緑の草地の一角と生命力に満ちた生垣の数ヤードを取り去る。でも、それは昔ながらの場所に新しい秩序、新しい美が取って代わるだけだ。野原の花は、人の手と心が作り上げた花々に場所を譲る。生垣にあった樫の木は、棟木や門柱、門の横木として新しい美のなかに輝くことだろう。新しい家は、古い家々や古びた教会――その時代にすら古びている教会――のそばに立てば若々しく整然と見えるだろうが、でも、それもまた時が経てば歴史の一部となる。その可愛く優美な乳白色の壁は、過去とつながる無数の本物の鎖の1つである。その長い鎖は、どこから始まったのかは分からないが、多くの柱の立つパラス・アテーナの神殿の中庭やエターナル・ウィズダムの堂々としたドームなども――たとえそれらは驚くほど素晴らしくまばゆいとしても――そのつながりの1つにすぎない。
 
 新しい家はこういうものであるべきだし、かつてはそうだったのだ。私が思い描いているのは、別に理想的な家ではない。ほんの少数が最高の時代と最高の国にあると認めるような珍しい驚嘆の芸術のことではない。宮殿でもないし、領主の館でもない。そうではなく、せいぜい自作農の農場の建物、あるいは彼の羊飼いの小屋のことだ。イングランドの一部にはそういう建物が今もまだ数十軒ほど残っている。
 そういう建物の一番小さな例が、こうして皆さんに話しているときも私の目の前に浮かぶ。コッツウォルズ西側のある丘の道路の脇に立っている家だ。その傍にある立派な木々のてっぺんからは、遠くウェールズ国境の山々まで見渡せる。そして、丘が連なる素晴らしい郷の、重なる林と草原と平野のあいだには、たくましい祖先たちの有名な合戦場がたくさん点在している。右を見ると、青く揺らめくのはウースターの町からの煙だ。イーブシャムの町の煙は、近いけれど小さすぎて見えない。やっと見分けられるほどのぼんやり霞んだ長い筋はエイボン川で、そこから流れてセバーン川へと合流していくが、ブレドンヒルにさえぎられて見えない。テュークスベリーの煙も視界をさえぎる。すぐ下、ブロードウェイの村の両側には灰色の家々が並んでおり、通りの突き当りには14世紀の素晴らしい家が建っている。上に目をやると、急な坂道をくねくねと上って道が続いている。一番高いところは西に面しており、私が今しゃべったような素晴らしい視界が目の前に広がっている。だが東の方はオックスフォード州の方に曲がっており、だから水路はみなテムズ川に流れ込んでいく。一面すべて日の当たる丘であり、輪郭は美しく、かぐわしい花の咲く草地であり、そこここに、よく育った優雅な樹々が立っている。まったく美しい田舎だ。厳かでないわけでもロマンティックでないわけでもないのだが、妙に懐かしい光景でもある。
 
 そしてそこには、かつては新しかった小さな家がある。コッツウォルズの石灰岩で建てられた労働者の家で、昔はクリーム色がかった白だった壁も屋根も、今では愛おしい暖かなグレーに変わった。その家の外形はどこも、コッツウォルズの美を損なうことはない。すべてがしっかりと上手につくられ、手際よく設計され、均衡も良い。そのアーチした玄関にはくっきりと繊細な小彫刻が施されており、どの部分もよく手入れされている。その家は本当に美しい。芸術品であり、自然の一部だ。それ以下ではありえない。使い方と場所を考えれば、それ以上の仕事をできる者は誰もいないだろう。
 
 では、いったい誰が建てたのか? 決して特別な人間ではない。ブロードウェイ村のただの石工ではないか。今だったら、私たちが嫌になるほどよく知っているこの先の通り、粗末な家が4、5軒並んでいる通りを歩いているような男かもしれない。もちろん、設計のためにロンドンや、あるいは近くのウースターから建築家を呼んだわけではない。建てられてから200年ほど経っていると思う。農民たちの家にはまだ美が漂っているが、その時代に博学の建築家が建てた貴族の館は、まあ、しっかりと上手には建てられているがまったく醜い。そして、小さな田舎家の建材は遠くから取り寄せたものでもない。壁石は近隣から取れたもので、今でもずっと良い軟石(注:御影石や大理石などではなく質の柔らかい石)として丘の上で砕石されている。
 
 いや、それが建てられたときは、特別な努力も必要なかったし、感嘆の出来映えでもなかったのだ。でも、今ではその美しさは稀有に思えるのだ。
 
 それで皆さんは、これをすべて失っても平気なのだろうか。この素朴で無邪気な美、誰に対しても邪魔をせず、誰も煩わせたりしない美、そして地球上の自然の美を損なうことなどなく、それをいや増す美、これを失っても平気なのか?
 
 平気でいられるはずがない。せいぜいできるのは、忘れようとすること、そして文明のためにはこういうことは必要だし不可避なのだと思うことくらいだろう。だが、本当にそうなのか?
 このような美の喪失は疑いもなく邪悪だ。しかし、そもそも文明とは人類に邪悪を生み出すためのものではなかったはずだ。だから、このような喪失は文明の悪意によってではなく、たまたま不注意で起こったことに過ぎないに違いない。だから、私たちが機械ではなく人間ならば、これは修正しなければならない。そうでなければ、文明は自ら崩壊してしまうだろう。
 
 さて、夢見がちに過去にひたるムードに陥らないように、陽光にあふれるコッツウォルズの丘と小さな灰色の家を離れよう。そして、かつては退屈でも不快でもなかったロンドン郊外について考えてみよう。きっと、どうにかできることがあるはずだ。私たちの住いの近くにある豪邸が、地球の美にとってどうなったかを思い出していただこう。
 その家は富裕な商人の住居、学校、病院などなど多くの変遷を経て、結局は現金へと姿を変えた。Aに売却され、AはそれをBに貸し、Bはそこにいくつもの家を建ててCに売った。CはそれをDやEや諸々に貸した。いや、古い家屋は取り壊されるものだし、予期されたことだ。たぶん、皆さんもそれはあまり気にしないだろう。その建物は決して芸術的ではなかったし、大仰ではなく立派に造られているとはいえ、愚劣でまったく平凡だった。だが、それが取り壊されている最中も、そのゆったりした庭園の木々に振り下ろされる斧の音があなたには聞こえることだろう。そばを通る時にあんなに楽しみだった木々であり、それは人間の努力と自然とが長い時間かけて辛抱強く噛み合って地域住民の喜びの源となってきた。だから、皆さんには少年たちが花で覆われたサンザシの大きな枝を引きずって通りを行くのが見えるだろうし、次に何が起こるかも分かるだろう。
 あくる日、あなたが目を覚ましてプラタナスのあった場所を見る。そのプラタナスは、雨の日も風の日も晴れた日も大事な友だちだった。その木自体がいろんなことの起こる一つの世界であり美だった。でも、今はそこにプラタナスは無く、あるのは空白だ。次の日は、愛らしくロマンスを体現する宝物だった古い杉の木たちがなぎ倒される、暗黒の無差別一掃が始まった。杉の木も無くなってしまった。でも、あなたの家の隣に生えているライラックの茂みは助かるかもしれないというかすかな望みがある。引っ越してくる人たちもライラックは好きかもしれないではないか。だが、それも午後には無くなってしまった。そして、その翌日、悲嘆にくれて眺めると、かつて立派な美しい庭園だった場所は、惨めに踏みつけられた泥土のつまらない更地になっている。現代ヴィクトリア建築の最新の開発計画に向けて、すべて準備オーケーとなっており、時が来れば(2カ月だろう)、破壊のなかから立ち上がる。

 
 ■あなたはこれで満足か?
 
 あなたはこれがお好みか? あなたのことだ。芸術を学んだことがなく、それが気にかかるとも思っていない、あなたのことだ。
 
 家々を眺めてみたまえ(例はそこらにいくらでも転がっている)! それらが美しいかどうかを聞いているのではない。なぜなら、皆さんは美しいかどうかなど気にしないと言っているのだから。だが、ちょっと見てみたまえ。施しとしてあなたに与えられた情けない安物の建築材や、住居設備や、装飾を! もしそこに、一筋でも寛大さや、まっすぐなプライドや、人を満足させたいという願いがあれば、私は全体を許してもいい。だが、そういうものはない。まったくないのだ。
 
 こんなもののために皆さんは、あの杉の木やプラタナスやサンザシを犠牲にしたのか? それが本当に好きだったはずではないか。皆さんはそれで満足なのか?
 
 満足できるはずがないと思う。あなたにできることといったら、ともかく自分の仕事をして、家族と語り、飲み食いし、眠り、忘れようとするしかない。だが、思い出すときはいつでも、自分や近隣の者にとって、なんと償いようのない喪失だったのかと認めざるを得ないだろう。
 
 もう一度言おう。これが芸術を無視した結果なのだ。隣にあった広々した土地が失われたのはあなたにとってはなんといっても喪失ではあるが、町の新しい一角に立つ建物は、必ずしも近隣住民への純粋な災難とは言えない。今までもそうではなかった。なぜなら、まず、建て主は、切り倒した材木で得られるわずかな金のために樹木を殺すつもりはなかった(少なくとも、木を全部やるつもりではなかった)。ただ、建築計画のなかにそれを組み込むのがとても面倒くさかったから、そうしただけだ。だから、まず第1に、あなたはあなたの木はもっと残せたのだ。私は今わざと「あなたの木」と言った。なぜなら、その木は、木を無視して殺害した男の木であると同時に、少なくともそれを愛し救えたかもしれないあなたの木でもあるのだから。そして第2に、あなたが失ったすべてのスペース、すべての自然的成長の避けがたい破壊について言えば、芸術があった時代には、その代わりに整った美で慰められたはずだ。そこでは、自然の働きと人間自身の働きとのなかに明白な人間の創意工夫と喜びの兆候が見られただろう。
 
 そうなのだ。次々と島が形成されていった初期のヴェニスに住んでいたとしよう。私たちはその変化を不満に思うことなどほとんどなかったことだろう。当時なら私たちは商人か金持ちということになるが、ギリシャ式の柱、ランゴバルド(訳注:イタリアに王国を築いたゲルマン系)の彫刻がどんどん周りに作られていき、青いエウガネイ丘陵や北の山脈の眺めが少しふさがれてきたとしても、そうなのだ。いや、もっと身近な例で考えてみよう。私は、テムズ川とチャーウェル川の流れのあいだに広がる柳が生えた牧草地が大好きだ。とはいえ、オックスフォードの町が昔からのオーズニーやレウリーやオックスフォード城から北にゆっくり広がって、町の人々の家や、学者の寮や立派なカレッジや堂々とした教会が年ごとに少しずつオックスフォード州の草や花を隠していったとしても、嫌な気持ちにはならなかっただろう。
 
 それがその時代の自然な流れだったのだ。人が建物を建てるときは、必ず、世の中の美に何かプラスを与えたのだ。だが、今はすべてがまったくひっくり返ってしまった。人が建築するときには、美しい何かを奪っていくのだ。それは自分たちの祖先と自然が世界に与えてくれたものなのに。
 
 まったく見事ではないか。そして訳が分からないではないか。完成を目指す文明の成り行きが、こんなことをもたらすなんて。あまりにも訳が分からなくて、まるで文明は自分自身の子どもを呑み込んでいるように思える。そして、その最初の餌食が芸術なのだ。
 
 ■事態を救えるかどうかが分からなくても、少なくとも追究すべきだ
  炎の河を渡るために、君たちは死力を尽くすのか?
 
 偉大な時代なのだから多くの変化があるのだ、とは言いたくない。なんらかの救済法があってしかるべきではないか。そして、あろうとなかろうと、少なくとも、死を賭してでもそれを追究する方がいい。放置して何もしないより、ずっとましだ。
 
 皆さんは満足なのかと、私は聞いた。満足していないと推察する。もっとも、多くの人はどうしたらいいか分からないように見えるけれども。それでも、皆さん方が不満のようだとそれなりに推察できるなんて、いいことだ。大したことだとすら言える。50年前、30年前、いやおそらく20年前でも、こんな質問をすること自体、無意味だったことだろう。答えは1つに決まっていたからだ。「私たちは完璧に満足している」。でも、今では、少なくとも、不満が高まってなんらかの対策が探求されるようになるのではないかと希望を持つことができる。
 
 そして、もし探求されるなら、少なくともイングランドでは、方策がすでに見つかっていて、行動されていてもいいのではないか。表面的には、それでまず間違いないように思える。なぜなら、矛盾を恐れず言えば、私たちイングランドの中流階級は、世界がいままで見たなかでも最強の部隊であり、その気になって取り組めば、何でも実現できるだろうからだ。
 にもかかわらず、事態を真正面から見てみると、たとえその私たちが全力を尽くしても、新しい芸術の創出をもたらすのは困難な課題であることに気づかずにはいられない。なぜなら、芸術がまったく死に絶えてしまわないようにと思う私たちと、あるべき理想のあいだには、近づくものを貪り食っている何かがうごめいているからだ。まるで炎の河とでも言えるそれは、泳いで渡ろうとする者すべてに必ず艱難辛苦を強いる。真理の探究に燃え、真理がもたらす幸せな日々を信じているがゆえに恐れ知らずの勇者でなければ、誰でも飛び込むのをためらってしまう。
 
 炎とは、しだいに完成されていく商業競争が作り上げた生活の慌忙(こうぼう)である。私たちイングランドの中流階級は、政治的自由を勝ち取ったとき、歴史上かつてないようなエネルギーを傾け、熱中してひたむきに商業競争を進めた。道を阻むものは何もなかったし、誰に助けを求める必要もなかった。ただそれだけを考えて、他のことはすべて忘れ去ってしまった。そして、望みを手に入れ、最強の人類のど真ん中にまことに恐ろしいものを創り上げてしまったのだ。
 
 今まで述べてきたこの私たちの創造物に対しては、弱々しい不満などでは、このように強力な力に対処することなどまったくできない。まだ無理だ。不満が強烈に膨れ上がらないかぎり、無理だ。そうはいっても、私たちはその破壊的力に盲目であり、しかも、まだすべては分かっていないがゆえに、それがどのような建設的力を秘めているのかも分かっていないかもしれない。いつか、それに対応するチャンスが再び与えられ、新しく価値のある願いの達成へと方向転換できるかもしれない。私たちが何を欲しているのかがついに分かるその日が来れば、まさしく力を尽くして、恐れることなく働こうではないか。火を消すのではなく、かつてそれを急かし支えてきたときのように、燃え尽きさせてしまうのだ。                     (続く)

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※この翻訳文の著作権は城下真知子に帰します
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