「社会主義は、生活についての理論です」
ーー1888年4月の手紙より 

from 'the Collected Letters of William Morris' edited by Noman Kelvin
翻訳:城下真知子(段落区切りは読みやすいように翻訳者が追加しています)

  ■「さまよう資本主義。でも社会主義は地に落ちたし、今後はどうなる?」
   そんなとき、モリスの言う社会主義を考えてみよう
〔訳者より〕

 近ごろ、「資本主義の行方」が問われています。「終末期を迎えているのではないか」、「時間かせぎをしているだけではないか」、資本主義とともに到来した「民主主義が空洞化しているのではないか」などと言われています。でも、それに代わるものがはっきりしないのが現状です。

 以前は、資本主義に代わる「制度」として社会主義という考えがありました。けれども、「社会主義」という言葉には官僚的な中央集権国家のイメージがつきまとい、とりわけソ連圏崩壊後は、そのイメージも地に落ちました。そのように汚れてしまった「社会主義」という概念ですが、そうした考えが形づくられた初期には、社会主義と言っても一色ではなく、いろんな意味合いがあり、様々な理想がその言葉に込められていました。

 ウィリアム・モリスがめざした社会主義は、暮らし方を問題にし、労働の質や仲間意識を基本としている意味で独特です。「社会主義」という言葉の持つ先入観にとらわれずに見てみると、現代にも通用する意義を持っているのではないでしょうか。

 モリスの言う社会主義を、簡単に説明した手紙があります。ある聖職者(当時はクリスチャンの社会主義者も大勢いました)の問い合わせに答えたものです。

 とくにモリスらしさが表れているのは、次のような主張でしょう。

 ・社会主義とは、生活についての理論である。
 ・人間の人間としての特別の能力の発展に最も邪魔にならないやり方で、
  充分な生活必需品を得る――そういう制度が社会主義だ。
 ・だから、倫理的ルールとしては、日常的に育まれる人間愛が必要だ。
 ・人間は地位や資産ではなく、人間としてどういう存在かで判断される。
 ・未来社会では、労働者とはすべての誠実な人間のことになる。

 
 1888年に書かれた手紙を翻訳し、モリスの考えの一端を紹介しましょう。

  ■聖職者ジョージ・ベイントンへの手紙           1888年4月2日

拝啓

 社会主義は、生活についての理論です。社会の進化を出発点に考えられました。社会の進化を、社会的存在としての人間の進化と言いかえてもいいでしょう。

 人間は、動物として生存するために、一定の物質的な生活必需品が必要です。それらの必需品を手に入れようとして創造されたのが、社会です。その場合に、人間としての特別の能力の発展、あるいは人間の精神的必要性の満足(いい表現がないので、とりあえず、こう呼んでおきましょう)に、最も邪魔にならないやり方を示すのが、社会主義であり、自覚的な社会意識なのです。


 ですから、社会主義の根幹は経済的なものです(註1)。社会的動物としての人間は、自然を克服する力を獲得しよう、そして、その力を有効に使おうとします。その際に、人類という種の利益のためにみんなで必要な能力を発揮し、それと引き換えに、生活必需品を得ることのできる社会、社会主義はそういう社会状態を意味しています。


 こういう経済的目的は、言い方を変えれば、労働も、労働の成果も、公平に配分することを目指すとも言えますが、そのためには、個人に対しもすべての仲間に対しても、誰もが倫理的で敬けんな責任感を持つ状況が必要です。その意味で、社会主義の目的は、経済的には平等な生活条件の実現であり、目指すべき倫理的ルールは日常的に育まれる人類への愛情です。


 平等が実現された社会では、厳密にいえば、もう政治は存在しません。でも、生産と直接関係しない社会的な習慣をはっきりさせるために、あえて使うなら、社会主義の政治的立場は、モノとヒトとの関係を、人と人との関係に置き換えることにあります。

 つまり、人間は、もはや、こういう地域に住んでいる人だとか、こういう役職を占めている人だとか、(現在のように)こういう資産を持っている人だとかで判断されるのではなく、どういう人間存在かで決まるということです。社会がそういう状態になれば、法律での抑制などは最小限になり、現在のようにモノ及びモノの人への支配を取り扱う法体系全体が消滅するでしょう。


 個人の平等が実現されれば、異なった国・地域に住む人々のあいだの争いも、もはや存在しません。国籍というものは、地理的あるいは民族学的表現にしか必要なくなります。


 暮らし向きが平等であること、相互に責任感をもち信頼しあっていること、そしてその範囲内で人がまったく自由であること(忘れてならないのは、これらが自発的に、それこそ習慣的に受け入れられているということですが)、これこそが、社会主義者が実現を楽しみにしていることです。

 もっとも、現在の社会がそういう社会に進化するまでには、理想の100%実現は先送りせざるをえない過渡期が存在します。それを認めない社会主義者は、ほとんどいません。こういう過渡的な生活状態であれば、現代(19世紀)の社会主義者が生きているうちに徐々にもたらされてくることでしょう。民主主義がさらに発展することによって、ある程度実現しますし、また、社会主義者の意識的取り組みによってももたらされます。

 現代の民主主義は、まだまだ過去の遺物や迷信を取り除けてはいません。そして、商工業システムが民主主義を生み出した(註2)のではありますが、そのシステムがしだいに衰退していく(註3)なかで生まれる状況にも、民主主義者は対応を余儀なくされるでしょう。たとえば、人口の大多数が雇用を見いだせない、休養が取れない、俗悪な住居で生活しているなどの問題への対応です。

 もちろん、民主主義的な取り組みで労働者階級の地位は改善されるでしょうし、改善までいかなくても、劣悪な状況の改善は可能だと自覚させ、現状への不満を募らせる――労働者がそういう立場を獲得することにはなるでしょう。

 でも、イギリスの立憲君主制の民主主義者は、それ以上のところへは進めないのです。彼らは、改善の基礎を、現在の賃金労働者と資本家の関係に置いていますが、そういう前提においては、改善にも大きな限界があるのです。新しい社会の基礎を実現する方法を主張することができるのは、社会主義者だけなのです。

 その方法とは、生産手段を私的に所有する制度の廃止です。土地、工場、機械設備、運搬手段、その他いかなる種類の富であれ富の再生産に使われるもの、したがって労働するために必要であり、労働でしか使われないものは、(私人ではなく)国だけが所有すべきなのです。そして、労働者が自分の能力に応じて使うべきなのです。労働者と言いましたが、もう、この時点では、労働者とはすべての誠実な人間のことになっているでしょう。


 生産手段を独占する制度の廃止という要求は、あらゆる色合いの社会主義者がすべて求めていることです。これは社会主義党の政治的基礎であって、それが少しでも欠けるようなら、明確な社会主義とは言えません。もちろん、社会主義者のなかには、それ以上のことを求めている者もいることは確かです。私もその一人ですが、その点は、この手紙の初めの部分を参照していただければ分かるでしょう。

 生産手段の独占廃止の要求を実現するにあたって何が起こるのでしょう――それがどういうことであろうと、私たちは引き受ける覚悟が出来ています。私自身としては、社会主義の実現に際してどういう闘争や暴力沙汰が起こるにしても(註4)、それは、きっと、この独占廃止という最初の段階で起こることだと考えています。今や何千年もの歴史を重ねている階級闘争は、その段階で終わりを告げるでしょう。

 そして、労働を支配するいかなる新しい階級も、もう生まれないでしょう。あなたが正しくもおっしゃったように社会主義の目的は仲間どうしの完ぺきな友情ですが、それをもたらすためにどんな手順が必要であるとしても、その時代の人々のあいだでは、いかなる深刻な競争もないでしょう。

 社会主義が習慣として十分に形づくられ、人々は人間となるのです。そして、それが人間の暮らし全体に満ちあふれるので、もう誰も社会主義という言葉を使う必要もありません。

 そのあとに、どんな完ぺきな暮らしの意識がもたらされるかは、誰にも分かりません。ただ言えるのは、人類の進歩や意欲に終わりがあるとは思えないということです。いまは遠い先の未来のこととしてしか考えられないことも、未来と過去を現在でつなぐ進化という偉大な旅路の、1つの過程に過ぎないことははっきりしています。


 これが、社会主義者がもたらしたいと思っていることの一応のスケッチです。あなたが知りたいと望んでいらっしゃるのは、基本原則とその必然的影響だと思いますので、手段その他については詳しくは触れませんでした。

                            敬具
                            ウィリアム・モリス

註1: 簡潔に書かれているが、「社会主義の根幹は経済」と言っても、経済優先という意味では決してない。文脈から、次のように考えられる。
前段で「社会主義とは生活の理論だから」と言っているので、社会主義社会では、当然、暮らし向き・生活必需品をどのようにして手に入れるか、つまり経済的問題が前提になるということだろう。
そして、忘れてはならないのは、モリスはさらにそれを「人間の能力発展にまったく妨げにならないように、生活必需品を充足させるやり方」だと言う。つまり、経済問題は基盤に過ぎず、それを土台に花開く自由と仲間意識の社会が、モリスにとっては大事だったのだ。たとえ、自分が生きているあいだにそれが実現することは無理だとしても。

註2: 商業の発達、資本主義の発達によって、封建時代の身分制度が破られ、近代の民主主義が生まれたことを指している。

註3: 発展を続けるかに見えた資本主義社会だったが、1888年頃には大量の失業者が生み出され、社会不安が訪れた。

註4: 『ユートピアだより』の「革命」のシーンに見られるように、モリス自身は暴力を望んでいないが、支配者の出方によっては武装せざるを得ない場合もあると考えていた。
 


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