芸術の目的 その1

by William Morris in 1886
翻訳:城下真知子(小見出しは翻訳者がつけました。読みやすくするために改行しています)
                                                                            2017年6月1日改訂
(注:この翻訳文章は『素朴で平等な社会のために』で、バージョンアップされています)

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1886年3月14日にハマースミス支部で初めて講演され、
その後、ダブリン、バーミンガムなど各地の支部でも講演された。

  ■人間はなぜ芸術を愛おしみ実践するのか

 芸術は何のためにあるのか。なぜ人間は芸術を愛おしみ、あえて手間をかけて実践するのか。これを考える場合、私は、良く知っている唯一の人間、つまり、私自身の経験を基礎にして思いめぐらすしかない。

 さて、私の望みとは何か。それは他でもない、幸せになることだ。生きている限りは幸せでありたい。死については経験したこともないので、どういうことなのかさっぱり分からない。考える気もないし、死後の世界などまるで想像もつかない。だが、生きることは知っている。

 命ある限り、私は幸福でいたい。そして、できれば時々は愉快なひとときを過ごしたい。こういう気持ちは、きっと誰でもが持っているに違いない。そのために役立つことなら、私はあらゆる力で守り、大事にしていきたい。

 それで、私の生活を立ち入って考えてみると、そこには二つの気分が支配しているように思える。適切な言葉が思い浮かばないので、とりあえず、その二つを「活動的な気分」と「怠惰な気分」とでも呼んでおこう。

 私の内面は常にどちらか一方の気分が支配していて、満足させてくれと叫んでいる。活動的な気分が支配するときは、私は何かをせずにいられない。できないと意気消沈して不幸せになる。

 怠惰な気分のときは、のんびりと休み、気持ちの良いものであれ悪いものであれ心に浮かぶ光景をさまようが、それが出来ないととても辛い。その光景は、自分自身の経験から来る場合もあれば、歴史上の人物や現代の誰かとの対話から生まれる場合もある。何らかの制約で、こういう怠ける時間を温めることができないと、苦しくてしかたない。自分の気持ちをなんとか引き立て再び活動的気分にするまで、不幸せな時間が続く。

 私を幸せにしてくれる活動的気分をどうしても甦らせられず、怠惰な気分なのに骨の折れる労働をしなければならないとしたら、私は本当に惨めになる。死んだ方がましだと思うくらいだ。とは言っても、死ぬとはどういうことかは知らないのだが。

 分析をさらに続けよう。私は、怠惰な気分のときは過去の記憶を楽しみ、活動的気分のときは未来の希望に励まされる。スケールの大きい真面目な希望の場合もあるし、ちょっとした望みにすぎないこともあるが、でも、希望なしには楽しい活動は出来ない。

 ときには、そういう気分を、暇つぶしとしかいえない仕事に費やして満足させることもある。ただの手すさびだ。でも、そういうときの希望はささやかで、希望というほどのものでもないので、すぐに満たされ飽きてしまう。いずれにせよ、私の場合、活動的気分を満足させるには、何かを作り上げる、あるいは作っていると実感することが不可欠だ。

 人によって程度の差はあるだろうが、人間の生活というものは、すべて、この二つの気分から成り立っているのではないか。だからこそ、人間はいつの時代も、ある程度の手間をかけてでも芸術を実践し愛おしんできたのではないだろうか。

 そうでなければ、余分に働かずに生きるために必要な労働だけで済ませておけばいいのだから、芸術に手を出すはずがない。芸術は自分の楽しみのためになされてきたはずだ。そもそも、かなり入り組んだ文明では、芸術作品を作らせるためだけに誰かを生かしておくこともあったぐらいだし、歴史に痕跡を残している人間はみな、芸術の証を残しているのだから。

 芸術作品というものは常に、それを鑑賞できる感覚を持つ人間を喜ばせようとしている――これを否定する人はいないだろう。芸術は、その品によって幸福になれる誰かのためにこそ作られた。それを見て、怠惰な気分あるいは休養の時間が面白くなり、そういう気分のときに忍び込みがちな空しさは失せ、満ち足りた瞑想や夢想ともいえる時間が取って代わる。そして人は、仕事や活動のエネルギッシュな気分にすぐには引き込まれずに済み、愉快で上質の時間を過ごせることになる。

 だから、不安な気持ちを落ち着かせるのは、明らかに芸術の本質的目的の一つだと言っていい。これ以上の人生の楽しみは、ほかにはほとんどない。

 才能ある現代人で、不安で落ち着かないという以外、特に欠点もなく、ほかに不幸せの要素もない人を知っている。だが、これだけで十分破壊力があるのだ。テニソンの詩で言われる「リュートの小さなひび」のようなものだ。絶えず不安でリラックスできないために惨めになり、ついには社会人失格ともなる。 

(注):リュートとは、16〜17世紀の頃に流行した弦楽器

  ■芸術を実践するなど愚行だと言えるか

 さて、これが芸術のもっとも大事な役目のひとつだとしたら、次の問題は、その実現のために何を支払わなければならないのか、である。

 まず、先に述べたように、芸術の実践とは人類として余分な労働をすることだろう。(もっとも、長期的にはそうではなくなると、私は思っているが)。そうだとしたら、それは余分な苦痛をも増やすのだろうか。この問いに、即座に「そうだ」と答える人もいる。芸術など見苦しい愚行だと軽蔑し、芸術を嫌う人たちだ。こういう人には二種類ある。

 一つのグループは禁欲主義の宗教者だ。彼らにとって、芸術など世俗の足手まといでしかない。人間は、来世で自分ひとりが幸せになるか惨めになるかだけを念じていればいいというわけだ。この人たちは、世俗の幸せを増やす芸術を嫌っている。

 もう一つのグループは、彼らなりに合理的観点から苦しい生活を見すえている人たちだ。芸術は苦しい労働を増加させ奴隷制を強化するものだと考えて、軽蔑している(注)。仮にそうだとしても、「休養をより楽しくするために、敢えて余分な労働をおこなう」ことも価値がないのかどうかという問題は残ると思う。もっとも、これは、とりあえず、人間の平等が守られているとしたらの話だが。

 しかし、私は、芸術の実践が辛い労働を増すとは考えない。そうだとしたら、そもそも芸術など起こらなかっただろうし、萌芽的な文明しかなかった時代の芸術が残っているはずもない。言いかえれば、芸術は決して外的強制の結果ではなかったのだ。芸術を生み出す労働は自発的なものだ。芸術を生み出す労働は、その労働そのものがしたくてなされているとも言えるし、仕上げればそれを使う人が喜んでくれるだろうという希望を持つからおこなわれるとも言える。
 
 あるいは、こう言ってもいい。この余分な労働は(余分になされた場合だが)、何か有益な物を作り出すために費やすことで、その活動的気分を満足させているのだ。それゆえ、その仕事のあいだずっと、具体的な希望が労働者の胸に息づいている。そして、労働そのものに絶対的直接的喜びが内包されているという意味でも、活動的気分は報われている。

 おそらく、芸術志向のない人に理解してもらうのは難しいだろうが、巧みな職人が思うように工芸作品を作っているときは、常にはっきりした感覚的喜びを感じているものなのだ。その喜びは、個性を発揮して自由に作業が出来る度合いが高ければ高いほど、増大する。

 そして、どうか分かってほしいのだが、この芸術の生産とそれに伴う労働の喜びは、なにも、絵画や彫刻などのような芸術作品に限ったことではない。他のいろんな形での労働すべての中にあったし、あるべきなのだ。これがあって初めて、活動的気分は成就される。

(注):モリスが当時のどういうグループを想定しているのかは分からないが、いろんな色合いのあった当時の社会主義者のなかに、そういうグループがいたのかもしれない。


  ■芸術の目的は人間を幸せにすること
    人間の労働を幸福なものにし、休息を実りあるものにする

 したがって、芸術の目的は人間をより幸せにすることにある。休息時間に鬱々としたりせず、休息を楽しめるように美しく興味深いものを提供し、労働するときには希望と身体的喜びをもたらす。

 ひとことで言えば、人間の労働を幸福なものにし、休息を実りあるものにする。だから、ほんものの芸術は、一点の曇りもない人類への祝福だ。


  ■だが、現代社会の芸術は?
    ルーアンを見よ、オックスフォードを見よ

 だが、「ほんものの」という言葉にはいろんな理解があるので、どうか、これから現実的な結論を導くことをお許し願いたい。私が言うことはきっと議論を呼ぶと思う。いや、むしろ呼んだ方が良い。ただ表面的に語るならともかく、芸術を論じるなら、真摯な人間なら誰でも頭に浮かぶ社会問題と無関係に語るなんて、まったく無意味だ。そもそも芸術というものは、盛んな時であろうと低調な時であろうと、まともな芸術も空しい芸術も、いずれも生まれた時代の社会を反映しているのだから。
 
 まず言えるのは、ものごとを広く深く観察している人なら、芸術の現状に対しても社会の現状に対しても不満であるにちがいないことだ。近年のいわゆる芸術の復活現象を承知の上で、なおも私はそう断言する。むしろ、現代の教養人の一部に見られる芸術に対する興奮状態こそ、先に述べた人々の失望に根拠があることを示している。

 40年前は、芸術が話題になることは今よりずっと少なかったし、実践も少なかった。私がいま問題にしたい建築芸術などは、とくにそうだった。それ以後、人々はまるで死人を甦らせるように芸術立て直しに努力してきた。それは表面的には少しは成功している。

 だが、そういう意識的な努力にもかかわらず、美を感じ理解できる者にとって、現在のイングランドの生活は40年前のそれより耐え難いものになっている。そして、敢えてあまり口に出してはいないが、芸術とは何かをよく理解している者にとって自明なのは、このままいけばきっと40年後には今よりもっと嘆かわしい場所になっているということだ。
 
 40年は経っていないが、30年ほど前に、私は初めてフランス・ノルマンジー地方のルーアンを訪れた。そのころ、ルーアンはまだ中世のような外見を保っていた。美と歴史とロマンスが一体となったルーアンの魅力がいかに私の胸を鷲づかみにしたか、言葉では言い表せない。言えるのはただ、これまでの人生の中でも最大の喜びの瞬間だったということだ。だが、その喜びはいまやもう誰も味わうことはできない。世の中から永遠に消えてしまった。

 ルーアンを訪れたとき、私はオックスフォードの学生だった。ルーアンと比べれば、オックスフォードは驚嘆するほどロマンティックでもないし、一見して中世的でもないが、それでもあの頃はまだ昔の愛らしさをかなり残していた。その頃のグレーの街並みは、私の人生に消し難い影響を与え、喜びを残した。もし現在の街並みを忘れ去ることが出来たら、その喜びや影響はもっと大きいことだろう。

 私にとっては、それはオックスフォードが「学びの場」であるより遥かに大事なことだった。だが、誰もこんなことは教えようとしたわけではないし、私もそれを学ぼうとしたのではない。

 だが、そのとき以来、こんなにも豊かな教育の都の美とロマンスの守護神は、「高等教育の場」(これが、不毛な妥協のシステムに従う者がつけた呼び名だ)と自称しているにもかかわらず、その美とロマンスをまったく無視し、商業上緊急に必要だという圧力に屈して保存をあきらめ、破壊しつくす決意をもはや固めたかのようだ。

 こうして、この世の喜びがまたひとつ風とともに去っていく。正当な理由もないのに、愚かにも、またも美とロマンスが空しく投げ捨てられていく。
 
 ルーアンとオックスフォードの例を挙げたのは、ただ、この二つが私の胸に刻み込まれているからにすぎない。この文明社会において、あらゆるところで同様の事態が進行している。芸術の復活のために少数の人々が粘り強く努力しているにもかかわらず、世界はより醜く平凡になりつつある。この少数の努力は、明らかに時代の傾向に公然と逆らうものである。教養のない人々の耳には、そういうグループのことなどそもそも届いていないし、大多数の教養人はそんな努力を冗談だと馬鹿にし、うんざりしはじめているしまつだ。
 
 さて、ほんものの芸術は世の中への純粋な祝福だという私の提起が正しいなら、事態はとても深刻だ。世界から芸術が完全に消えてしまいかねないわけだし、そうなれば、われわれはこの素晴らしい恵みを失うことになる。まことにもったいないことではないか。
 
 死滅を運命づけられているなら芸術は痩せ衰えて消え、その目的も忘れ去られてしまう。労働を幸せにし、休息を実りあるものとするという目的が忘れ去られてしまう。そうなると、すべての労働は不幸なものとなり、休息は実りないものとなるのか?

 そうだ、芸術が滅びるとしたら、まさしくそうなる。芸術に代わって何かが、まだ夢にも想像されていない何かが起こって来ないかぎり、そうなってしまう。
 
 でも、私は、芸術に代わるものがあるとは思えない。人間の創意工夫の能力を疑って言うのではない。(もっとも、人間の創造力は今のところ、自分を不幸にする方向にふんだんに発揮されているようだが)。

 そうではなく、人の胸から湧き上がる泉のような芸術への思いは絶えることはないと思うからだ。と同時に、芸術が衰退している原因が容易に見て取れるから、そう思うのだ。
                          (その2に続く)

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