新訳 民衆の芸術 その1

by William Morris in 1879
翻訳:城下真知子(小見出しは翻訳者がつけました) 2017/5/19
(注:この翻訳文章は『素朴で平等な社会のために』で、バージョンアップされています)

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バーミンガム芸術協会およびバーミンガム芸術学校の聴衆の
前で、芸術協会総裁として1879年2月19日におこなった講演

  ■ダニエル・デフォ―(1660〜1731)の言葉より

労働者は、労働に不可欠な体力を維持するためのパンを得ようと、毎日必死に体力を費やす。こうして、悲しい循環を毎日繰り返すのだ。ただ働くために生き、ただ生きるために働く。
疲労困憊しながらの暮らしの目的は、まるでパンだけであるかのように。そして、毎日のパンを得るにはそういう暮らししかないかのように。
                  ダニエル・デフォ―(1660〜1731)

  ■友人たちとの会話だから、重い問題も真っすぐに語ろう

 聴衆の皆さんの大半は、すでに美術を実践しているか、そのための特別教育を受けている方だと思う。だから、おそらく、美術実践の細部をテーマにした講演を期待しておられるのではないか。しかし、芸術を脅かす問題に関心を持つからこそ、私たちはみなここに集っているのだから、私は、むしろ、皆さんが世間一般の人々を代表しているものとして話をしたいと思う。

 じっさい、芸術を専門に学んでいる皆さんが私から特に役立つことを学べるとは思えない。皆さんはすでに必要なことをすべて教えてくれる教育システムのなかで、有能な先生たち(非常に有能な方々だと聞いている)から学んでいるのだから。もちろん、これは、皆さんが芸術に捧げる第一歩を正しく踏み出しているとしての話である。

 正しい第一歩とは、目標を正しく設定していること、また、表現できなくても芸術とは何かは何らかの形で分かっていることだ。さらに、本能的にこれだと感じている道を、断固として進む決意をしていることだ。そうでないなら、どんなシステムもどんな教師も、真の芸術を生み出す助けなどできるはずがない。たとえ、その芸術がどんなにささやかなレベルであっても無理だ。

 皆さん方がほんものの芸術家であれば、私が与えられるような助言は(どんな簡単な言葉で言われたとしても)すでにもう充分知っているだろう。「自然を観察せよ、いにしえに学べ、人から盗まず自分自身の芸術を作れ、自分がやろうと決めたことなら、いくら困難でも手間や辛抱を嫌がらず勇気を出し惜しみせず達成せよ」。

 きっと、こういう助言は何十回も聞いたに違いない。そしてその何十倍も自分自身に言ってきたことだろう。そのうえに私が繰り返したとしても、皆さんにも私にも毒にも薬にもならない。それほど当たり前のことであり、みんなが知っていることだが、実行は難しい。

 さて、私にとって芸術の問題はとても重い。あなた方にとってもそうであってほしいと願う。芸術は、人間の思想に関わる重大問題と決して切り離すことができない。その実践の底に横たわる原則については、まともな人なら誰でもたぶん、いや、必ず、自分の考えを持っていなければならない。

 だから、今日はそういう問題を語らせていただきたい。私が語りかけたいのは、芸術に意識的に関心を払う人だけではなく、文明の進歩が子孫に何を約束し何を脅かすのかと考えたことのあるすべての人だ。

 芸術の未来には、いかなる希望や不安が待っているのか。芸術は文明とともに生まれ、文明が死ねば運命を共にするものだ。対立しあい疑惑が渦巻き変化する現代は、より良い時代を準備しつつあるが、じっさいに変化が訪れ、対立が収まり、疑惑が晴れたとき、そこに何があるのか。これが問題なのだ。まったく重いことではないか。思索する人なら誰でも考えずにいられないと思う。
 
 だが、あまりにも普遍的で大きな問題なので、私などが取上げるには大きすぎると思われるかもしれない。私自身、同じ希望や恐れを持つ偉大な誰かの代弁だとでも思わなければ、皆さんの前で語れないほどだ。

 勇気を奮って、この問題について考えているすべてを明らかにしたい。なぜなら、私は今、他のどの都市でもない、バーミンガムにいるのだからだ。この町は、現在や自分のためだけに生きることに満足せず、新しく湧き起こることなら何でも眼をしっかり見開いて、少しでも真実があるなら互いに協力し合う、そういう責任をきちんと引き受ける人々の町だからだ。

 それに、この1年、皆さんが光栄にも私をバーミンガム芸術協会の総裁として選んでくださり、今夜講演する機会を与えてくださったことも忘れるわけにはいかない。だから、何であれ少しは皆さんの役に立つであろうことを、自分の観点から真っすぐ述べなければ、私は義務を果たしていないことになる。

 こうして友人たちと話しているのだから、少々向こう見ずな語り口は許してくれても、偽りを語っては許してくれないだろう。

  ■芸術を見下す現代の風潮にどう立ち向かうか

 皆さんの協会と学校の目標は、芸術教育を広め前進させることだと思う。とても立派な目的であり、この偉大な都市にふさわしい。また、うれしいことにバーミンガムは、頭を働かさずに偽りの暮らしを送ることなど許さない町だ。こんな堂々たる評判を持つ町なのだから、皆さんも、この協会と学校が進めようとしていることは何か、そして、自分はその目的を本当に心にかけているのか、それとも、のんべんだらりと従っているだけなのかを、明確に自覚しているべきだと思う。

 つまり、皆さんは、心底から必要性を感じて自分自身の意志で運動の要たろうとしているのか、あるいは反対しているのかだ。それとも、誰でも首を突っ込む者がいるなら、その者に任しておけばいいと考えているのだろうか。

 こんな質問を突きつけられて驚いただろうか。では、なぜ、そんなことを聞くかを説明しよう。私たち芸術を愛する者、それももっとも真剣に愛していると言ってもいい者たちなどは、芸術への愛など現在ではもう稀になったに違いないと見ているのだ。すさんだ習慣や精神状態で、芸術に出会う機会も芸術の問題を考える余裕も持てない大多数の人たち(気の毒に!)〔注1〕が芸術を愛せないのは当然だから、別にしよう。でも、そうではない多くの高尚で思慮深い教養人のなかに、内心、芸術などは文明がたまたま生み出した馬鹿げたことだと思っている人がいる。いや、おそらくもっと悪い。芸術など、人類の進歩にとって厄介で病的な妨げに過ぎないと思っているのだ。

 そうした人のなかには、他の分野を忙しく考えている人もいることだろう。科学、政治、その他もろもろの研究に、こう言ってよければ芸術的なほど夢中になっていて、その賞賛すべき「勤勉」によって心を狭くしてしまっているわけだ。ただ、そういう人たちは少数だから、芸術など些細なことだと見下す今日の風潮の説明にはならない。
 
 では、いったい、私たちの何が悪いのだろう。芸術のどこが悪いのだろう。かつては輝かしかったものが、いまでは取るに足らないとみなされているのはなぜなのだ。
 
 この問いは決して軽い問題ではない。はっきり言って、現代思想の領導者たちは、ほとんどの場合、心の底からひたすら芸術を嫌悪し軽蔑している。当然にも、指導者がそうなら、人々もそうなる。

 そうすると、広範な教育で芸術を促進しようと集う私たちも、いずれ立派な人々と同意見となって、今日の集いなどは自己欺瞞か時間の無駄だったと思うようになるのだろうか。それとも、お堅い人々や文明人の大多数の方が厄介な状況に目が眩んでいるだけで、私たちは正しい立場を代表した少数派なのだろうか。少数派の方が正しいこともあるのだから。
 
 皆さん、どうか、正しい少数派だと自負しているのであってほしい。ここに集う私たちにとって、芸術は人間の暮らしに不可欠だということは確かなはずではないか。もちろん、「文明の進歩など、何も生産しない空回りの役立たず」とまでは思っていないとしても。
 
 では、私たち少数派は、いかにして課せられた任務を果たし、多数派に成長する努力をすればいいのだろうか?

注1: これは批判ではなく、単に、生活に追われて悲惨な住居で暮らしている労働者の存在を事実として指摘しているにすぎない。モリスは「下層階級」という悲しい言葉で呼ばれ、生きるだけで精一杯の労働者階級について、1877年の『小芸術』のなかで「このおぞましい通りを日々行き来している労働者たちに、どうして美に関心を持ってほしいなどと頼むことができるだろう」と言っている。

 ■古代や中世から学べ――芸術は大気でありパンだった

 思索者や彼らに従う何百万の人たちは、芸術についてまったく無知で、あいまいな本能的反発しか感じていない。だが、私たちにとって、芸術は大気でありパンだ。彼らに芸術とは何かを分からせるができたら、私たちは大気を吸うように、パンを食べるように芸術を愛しているのだと分からせることさえできたら、勝利の種は蒔かれたことになる。

 これが困難な事業であることは確かだ。しかし、古代や中世の歴史を熟慮してみると、一筋の光が射してくるように思える。

 たとえば、ビザンチン帝国の1世紀を考えてみよう。衒学者や暴君や役人どもの名前にうんざりしながらも読み進もう。滅んで久しいローマが築いた鎖に縛られていたビザンチンの支配者たちは、そのローマの力で人民を惑わせ、自分たちが世界を支配するにふさわしい主君だと信じ込ませていた。支配圏の周辺に目を転じると、北やサラセンの海賊や盗賊による無意味な殺戮が出て来ては消える。その時代のいわゆる「歴史」が告げるのは、まとめればその程度のことだ。つまり、王や悪党どもの馬鹿々々しいほどの悪徳行為と怠惰の連続なのだ。

 では、私たちはその時代から目を逸らし、すべては悪だったと言わねばならないのだろうか。それなら、日々の暮らしはどう営まれていたのだろう? そして、怠惰と悪から、いかにして知識も自由もある欧州へと育ったのか? 

 それは、「歴史」上で名や業績が知られている者とは別に、人々が存在したということではないか。奴隷市場や宝庫のいわば原材料であった人々、現在の言葉で言えば「民衆」と呼ばれる人々が、そのあいだじゅうも働き続けていたということではないか。そうなのだ、そして彼らがおこなった仕事は、ニンジンをぶら下げて鞭で打たれながら為されるような、ただの奴隷の仕事の質を越えていた。

 なぜなら、「歴史」は彼らを忘却したが、彼らの仕事は忘れられずに残っているからだ。それが、もう一つの歴史、つまり芸術の歴史を作ってきたのだ。東洋にも西洋にも、彼らの悲しみや喜びや希望の証(あかし)を残していない古代都市は存在しない。イランのイスパハンからイギリスのノーサンバランドまで、7世紀から17世紀の建物で、抑圧され無視されてきた一群の人々の労働に影響されていない建築物はない。

 しかも、そのうちの誰一人も、とくに他より飛びぬけていたわけではないのだ。プラトンやシェークスピアやミケランジェロがそのなかにいたわけでもない。大衆のなかに点在していたにすぎない人たちの伝統が、いかに長く持ちながらえ、なんと遠方まで伝わったことか! なんと確固とした思想だったことか!
 
 そしてこれらの日々をとおして芸術は力強く前進してきたのだ。芸術が残されていなければほとんど知りようのない時代が、なんとたくさんあることか。いわゆる「歴史」に残っているのは王や武将だ。なぜなら、彼らは破壊したから。だが、芸術に残されているのは民衆だ。なぜなら、彼らは創造したから。
 
 だから、世界の進歩を何よりも願ってはいるが芸術の現状にはうんざりしている正直で一生懸命な人たちに向き合っていく際に、このような過去の暮らしについての知識は何らかの示唆を与えてくれるのではないか。

 ■自由な社会が訪れたとき、労働を彩るものは何か

 彼らにこう聞いてみるといいかもしれない。あなたが(そして私たちも)望んできたことがすべて実現されたとして、では、それからどうするのだ? 私たちがそれぞれのやり方で実現しようとしている大変革は、これまでもそうだったようにこっそり忍び足で訪れあっという間に実現するかもしれない。劇的変化が不意打ちに訪れ、すべてのまっとうな人々に認められ、喜ばれると想像してみよう。

 そのとき、何世紀にもわたる悲惨な労働という腐敗をふたたび積み重ねたりしないためには、どうすればいいのか。新しい旗が掲げられたポールの下から散って持ち場に出発するとき、耳には新秩序を告げた先駆者のトランペットの響きがまだ鳴り響いている。そのとき、いったい、私たちは何に取りかかるべきなのだろう?
 
 それこそ、労働ではないか。日々の仕事以外に、私たちが為すべきことなどあるだろうか。
 
 それでは、そのとき、つまり、私たちが完全に自由で分別があるようになったとき、毎日の労働を彩るものは何なのだろう? 日々の労働は必要不可欠だが、ただの骨折りでしかないのだろうか。その労苦の時間を、ただただ最大限短縮して、かつて望んだこともないほど余暇の時間を増やすしかないのだろうか。骨折って働くのはすべて厄介なら、では、余暇にはいったい何をすればいいのか。ひたすら眠り続けるというのか。なんと、それなら、私は二度と目が覚めない方がましだ。
 
 では、いったいどうすべきなのだ。必要な労働をしてもたらされた時間をどうすべきなのか?
 
 多くの不正が正され、汚い仕事を誰かに押しつけるような堕落した階級制度のない新社会が訪れたとき、人類が答えるべき問いがこれなのだ。そのときに人類がまだ病んでいて芸術を嫌っているなら、その問いに答えることはできない。
 
 かつて、人は残虐な圧政の下に生きていた。あまりにも苛酷な暴力と恐怖だったから、現代の私たちにしてみれば、毎日をいったいどう過ごしたのかと思わずにいられない。でも、考えてみれば、彼らの暮らしは、現在と同様に日々の労働で明け暮れていたわけだが、その労働は毎日の芸術的創造によって彩られていたのだ。

 では、彼らが耐え抜いた邪悪からは免れている現代の私たちが、彼らよりも情けない生活を送るとはどういうことか。多くの圧政を経て前進してきた人間が、にもかかわらず新手の圧政に縛られ、自然の奴隷となり、希望の持てない無意味な労苦の日々を重ねていっていいのか。こんな状態になるまで突き進まねばいけなかったのか。すべての敵を打ち負かし縛るものもないはずなのに、世界は過去の負債を背負い込み、ゾッとするような醜さに埋もれて働き続ける道を選ぶというのか。希望がすべて砕かれ、いったいどうするというのか! なんと哀れな絶望の淵に沈んでいくことだろう!
 
 もちろん、そうならないかもしれない。しかし、あのような芸術への病的な嫌悪が情けなくも続くなら、そうなるとしか思えない。美や想像力を愛さなくなれば、文明もまた絶滅するに違いない。世界もいつかはこの病を抜けだすだろうが、その過程で多くの苦痛を味わうだろう。そのなかにはまさに芸術の死の苦悶もあるだろう。なかには、世の貧困層を痛ましくも直撃することもあるかもしれない。というのも、社会的変化の多くは、現実の必然性が苛酷に働いて起こるからだ。見えもしないのに必死で見ようとする人間の先見性に基づいて起こるわけではない。

 ■現代の芸術のどこが間違っているのか

 ところで、私が問うたことを思い出してほしい。このような芸術を見下す病にとらわれるなんて、私たちの何が、あるいは芸術のどこが間違っていたのだろう。

 理論的には芸術に何もおかしいところはないし、あるはずもない。それは常に人類にとって良きものであった。そうでなければ、私たちはまったく間違っていることになる。だが、最近の芸術といわれるものは、おかしいところがたくさんある。いや、そうでなければ、そもそも今夜こうして集まっていないだろう。民衆的芸術が消えつつある、あるいはすでに消えてしまったと気がついたからこそ、30年ほど前に芸術学校が全国各地で設立されたのではなかったか。
 
 それ以来のわが国の進展について(わが国のことだけだが)、無作法であったり偽善的であったりしないように語るのは難しい。でも言わなければならない。ある意味、外見的には明らかに進歩しているように見えるが、それがどれほど希望の持てるものかは分からない。なぜなら、それがただの一時的流行か、それとも立派で洗練された多くの人を本当に動かしている兆しなのか、それを証明するには時間がかかるからだ。友だち同士だから正直に言うと、これでもよく言い過ぎと思えるほどだ。

 そうは言っても、さあ、どうだろう。未来を考えるにしても過去を再構成するにしても分からないことは多い。目先のことだけを必死で見つめていると、前も後にも見えなくなりがちだ。願わくは、私が危惧しているより良くなりますように!
 
 ともかく、希望の持てない兆候ではなく得たものを数えてみよう。イングランドでは(私の知る限りではイングランドだけだが)、画家たちは増えているし、作品においても確かに良心的になり成長している。なかには(とくにイングランドでそうだが)美的感覚が発達し表現されているケースもある。これはこの300年間、世界で見られなかったことだ。これが大きく進歩しているのは確かな現実で、絵を描く側や使う側が簡単に過大評価できることではない。
 
 さらに、イングランドでは(イングランドだけだが)、先に述べた芸術学校が再生させ育ててきた建築と建築関連の分野において、大きな改善が見られる。製作された作品を使う者にとっては、これはかなりの前進だ。だが、作り手のほとんどにとっては、それほど重要な進歩ではないかもしれない。
 
 残念ながら、こういう進歩に対して、言い訳のできない現実もある。いわゆる文明社会の他の国々が、ほとんど進歩せず固定化しているということだ。それに、わが国の場合でも進歩に関係するのは比較的少数に過ぎず、国民の大多数は少しも影響を受けていない。だから、人々の嗜好にもっとも依存する建築という芸術の多くは、日に日に悪くなっている。
                    

 ■土着の芸術を窒息死させたイングランド

 話を進める前に、もう一つ落胆することを述べければならない。多くの人は、わが芸術学校も基礎固めの一翼を担った芸術運動の先駆者たちが、東洋の美しい作品に注目せよとパターン・デザイナーたちに強調していたことを、きっと覚えているだろう。これは非常に正しい判断だった。先駆者たちは、美しく整然としていて現代に息づく芸術、何よりも民衆のものである芸術を見よと訴えたのだ。

 だが、病んだ文明の悲しい結果として、西洋の支配と貿易の広がりを前にして、東洋芸術が急速に消滅しつつある。しかも、その速度は日に日に増している。私たちがここバーミンガムで芸術教育を広めるために集っているあいだも、インドの近視眼的イギリス人は、その教育の源泉自体をどんどん破壊しつつある。宝石・金属加工、陶器作り、更紗染め、錦織り、絨毯製作――あの偉大な土地でおこなわれてきた有名な歴史的芸術が何の値打ちもないかのように扱われ、つまらない「商業的利益」などというゴミを優先するために退けられてきた。彼の地の事態は、いまや急速に終局を迎えつつある。

 イギリス皇太子がインド旅行の際に現地の王子から貰った贈り物を見た人もここにはいるのではないか。私はこの目で見た。どういうものかは予想できていたので大いに失望したとまでは言わないが、それでも深い悲しみで見たものだ。素晴らしい宝物として与えられたこれらの高価な贈り物の数々は、産業的芸術(industrial arts)の揺籃期に得た名声の水準にほとんど達していなかったからだ。

 それどころか、笑うしかないものさえあった。さもなければ、被支配民族が支配者たちの空虚な俗悪さを無邪気にまねするさまに、哀れみを誘われるかだ。

 私たちイギリス人が推し進めているこの劣悪化について、最近、ある文章を読んだ。昨年のパリ万博・インド展示で出された小冊子で、インドの製造業の状況が逐一記載されている。その産業を「芸術製造業」と呼んでもいい。確かにインドではすべての製造業は「芸術製造業」だった。小冊子の著者バーウッド博士は、インドでの暮らしを長年経験した科学者であり芸術愛好家だ。私や東洋の仕事に興味を持っている人にとっては、書かれている内容は決して新しいことではないとはいえ、本当に悲しい話だった。

 希望を失くした被抑圧民族は、各地で本物の芸術の実践をあきらめつつある。私たちが熟知しているだけでなく声を大にして宣言してきたように、その芸術こそ、もっとも真実でもっとも自然な原則を基礎にしていたものであったにもかかわらず。

 ずっと称えられてきたこれらの芸術的完璧さは、長きにわたる労働と改善の賜物だった。だが、インドの被抑圧民族はそれを無価値だと投げ捨て、支配者たちの劣悪な芸術、いや、芸術の欠落に従おうというのだ。一部の地域では真の芸術はすっかり破壊され、他の多くの地域でもほとんどそれに近い。全体として、吐き気をもよおすようなものになりつつある。

 まったく、これが現実で、わが政府はこの間ずっとこの劣悪化を推進しているのだ。たとえば、インドの刑務所での安いインド製カーペット製作がある。良き意図から出たものだろうし、国内やインドのイギリス人も確かに賛同している。私も別に、インドの刑務所で実のある仕事をしたり、芸術的仕事をしたりすることに反対しているのではない。適切におこなわれれば、むしろ望ましいことだ。

 ただ、この場合政府は、イギリス世論の賛同を得て、その品の劣悪さなど無視して、何としても安価に作ろうとしているのだ。じっさい、それは安っぽい恐ろしいしろものだ。もっとも、最悪の類のものだとはいっても、すべて同じ手法で作られなければ、あそこまではひどくならなかっただろう。だが、インド全国で、あらゆる製造者が同じ状態なのだ。こうして、哀れな人々は、支配後にも残されていた唯一の特質、唯一の栄光を失うところまで来てしまった。

 30年前に私たちが民衆の芸術を復活させようと取り組み始めたとき、あんなに賞賛してきた名高い品の数々は、もはや通常の市場で納得できる価格で買うことはできない。それらは、私たちが芸術教育のために設立した博物館の貴重な遺品として、探し求め保管されなければならない始末なのだ

 一言で言えば、彼らの芸術は死んでしまった。現代文明がもたらした商業が殺してしまったのだ。
 
 インドで起こっていることは、多かれ少なかれ東洋全体で起こっている。インドについて話したのは、基本的に、私たちが彼の地の現実に責任があると考えざるを得ないからだ。運命の巡り合わせで、私たちは彼の地の何百万人の人の支配者となった。そうだとしたら、どうしようもないサソリを魚だと言って彼らに与えたり、石をパンだと言ったりしないようにするのは、私たちに課せられた義務ではないのか。
                                  (続く)

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