『未来の社会』の要旨は……
 社会主義者は、未来社会については「独占の廃止と生産手段の共有」という基本のみを語り、詳細については未来の世代にまかせるものだ。だが、ある程度は予測がつくし、それ以上のことも推測せずにはいられない。この推測、希望、夢こそ、理性だけでは動かない者をも社会主義者にする力だと思う。

 だからわたしが生まれ変わったら住みたいような未来社会の像を話そう。でも、みなさんのなかには、これを奇妙なイメージだと思う人もいることだろう。

 未来社会では、金持ちも貧乏人もいない。平等はあたりまえのこととなる。社会主義とは人間を幸せにすることで、幸せとは、自由な人間が気持ちよくエネルギーを発揮することだ。文明は、人間という動物の基本的な感覚的生活を恥ずかしいと思わせる。そういう禁欲主義の文明をわたしは嫌悪する。贅沢を排し、素朴な暮らしを楽しもう。

 贅沢が空気を汚し川を下水にした。未来の良き生活は、いまの金持ちの生活とは無縁だ。簡素で自然な暮らしのなか、自分の仕事を代行させず自分でおこない、暮らしの細部に喜びを見い出す。

 必要な機械は発達するだろうが、暮らしの技を身につける時間もある人々は、しだいに自分の手で創造する喜びを選ぶだろう。そして人間が持つ可能性は大きく広がる。

 その可能性がどう発展するかはわからないが、個人的には、人類が失った視力を取り戻すと思いたい。審美と想像の源だった視力、それを通して心に印象を刻むことを、人々がまた楽しみだすだろう。健康に成長した人間の感覚に芸術がアピールし、建築やそれに関連する芸術が花開くだろう。本物の活き活きした芸術を生み出せるのは、空論家ではなく労働者だけだ。

 この幸せで平和な社会ではものたらないという「優れた人」には、尋ねよう。では、なぜ劣悪な現代とはうまくやれているのだ? 自分たちが相対的に優遇されているからだろう。こういう「ご主人」とは決別しようではないか。

 理想の未来社会を実現できるかどうかは、主従関係の廃止――われわれが主人を持つことをやめるかどうかにかかっている。
                                           ウィリアム・モリス 1887年

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