抄訳:モリスの手紙
Letters by William Morris
出典:The Collected Letters of William Morris Edited by Norman Kelvin
翻訳:城下真知子(
読みやすいように適宜改行しています

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 1888年  激動のなかで その5 


 
 [
訳者から]

  ペルメルガゼット紙は、1887年11月のトラファルガー広場集会禁止措置に抵抗してLaw and Liberty League(法と自由のための同盟)結成を提唱していたが、年が明けた1月25日にその同盟が結成された。モリスはSL(社会主義者同盟)を代表して執行部の一員に選ばれる。トラファルガー広場で逮捕され投獄されたジョン・バーンズとカニンガム・グラハムが2月に釈放され、大衆的な歓迎の催しが連盟によって計画される。

 また、国会でもトラファルガー事件は議論となり、警視庁長官の集会禁止が合法的だったのか、警察の弾圧に問題はなかったのかを問う動議を提出するなど、自由党を含めた議員たちもこの問題に関わり始める。世論の関心も高まり運動は盛り上がりを見せる。

 だが、その一方で、SL内部の対立は深刻さを増し、モリスを悩ませる。

 とはいえ、モリスは88年に入っても、スコットランド各地への講演ツアーを精力的に行なうなど、文字通り連日の活動を続け、『ジョン・ボールの夢』もこのころ出版された。

 すそ野の広がりを物語る2月の手紙2通と、3月の手紙2通(1通は思い悩むモリス、もう1通はスコットランド・ツアーの現地から)をお伝えする。
 なお、〈〉内は城下の注釈。

  ■1888年2月19日付 長女ジェニーへの手紙 
  <トラファルガー事件で収監されていたバーンズとグラハムの釈放>

                             ハマースミスにて
私の大事なジェニー

 手紙ありがとう。お前の手紙をもらって、とてもうれしかった。
 
 今回は私が話しをする番のようだね。昨日は6時に起きて、きちんと7時少し前に来たトカッティ夫妻といっしょに急いで食事を済ませ、囚人たちに会うためにキングスクロスに飛び出した。刑務所当局はいつもの汚い手を使って指定時間前に囚人たちを釈放するだろうと分かっていたから、間に合うように着けるとはほとんど思っていなかった。そしてその通りだったよ。

 でも、〈ペントンヴィル〉刑務所に向かう路面電車に座っていたら、通り過ぎる馬車に(牢獄から釈放された)グラハムとその夫人が乗っているのを私は目撃した。それで、トカッティは飛び降りて鹿のように走って馬車に追いついてストップさせた。そこへ私も追いついて、握手を交わした。グラハムはそんなに調子が悪そうではなかった。もちろん、弱っているのは間違いないし、(あとで)晩に発言したとき、彼の声もバーンズの声も確かに弱々しかったけれどね。

 それから、私たちはそのまま刑務所に行ったが、そこにはまだ人々がたむろしていた。〈釈放された〉バーンズは奥さんが到着するのを待っていて、通りを行ったり来たりしていたよ。だから私は彼のところへ行って話をした。バーンズは、かわいそうな囚人たちが朝食や夕食に食べるパンを見せてくれた。ほんの二口ほどなのだよ。それだけしかない。バーンズはとても健康を害しているように見えた。

 そして、彼が行ってしまったあとで、私はこの惨めな場所をよく見ようと通りに沿って歩いた。人間がこんな馬鹿げた建造物を骨折って建てるなんて、考えただけではらわたが煮えくり返りそうだった。これが解体されるか、床敷きの工場か何かそういうものに建て替えられるまで、何とか生きていたいものだと思ったよ。そうして家に帰ってきた。

 言いたいのは、ああいうさもしくて卑劣な獄吏たちもいるが、それでも、刑務所の門では釈放される囚人たちを迎えようと大勢の人たちが待っていたということだ。なかには、とても思いやりのある人たちもいて、ミートパイを持って来ていて釈放された人の手に押し付けていたよ。彼らは体面など気にせずに「ガツガツ」食べていた――ハリー<注1>が即座に表現したようにね。それから、彼らは刑務所のすぐ向かいにあるコーヒーショップで楽しい時間を過ごした。
 
 それから夕方になって、お茶の時間が来た〈釈放された囚人のためにLaw and Liberty Leagueが準備した「Tea and Public Meeting」のこと〉。いや、お茶という点では、まったく混乱した催しだった。会場が満員だったから、無理もない。でも、会合としてはとても熱狂的だった。じっさい、聴衆が出獄した人たちに拍手喝采したので、演説もほとんどできないほどだった。4か月の判決を受けたアイルランド議員のブレイン氏と初めて会ったが、大変いい男のようで、ほとんど社会主義者だ。グラッドストーン〈自由党党首。首相経験者〉の名が上がると、ほんの少数が喝采しただけで、大多数はブーイングしていた。メイとハリーは二人とも<お茶の>手伝いをしていたし、かわいそうなハウや、うちの支部の元曹長の大男も手伝っていた。会合は、(6時から)どうやら夜中まで続きそうだったので、メイとハリーと私は10時ごろに出て、ソルフェリーノに行って夕食を食べ、帰って寝た。
 
 明日の晩の集会は、きっと大成功すると思う。ウィリアム・オブライエン〈アイルランド党リーダー、トラファルガー集会は、そもそも彼の釈放を一課題として計画された〉が来て話すと約束してくれた。彼がいて、ダビットが司会して、ブレインもいれば、アイルランド党は、ロンドンの反抗分子・トラファルガー広場事件グループと連帯していると認めたも同じだ。

 サザーク地区の選挙でも、予想に反して自由党候補が大きく過半数を占めたから、政府には大打撃だった。だから、すべてを勘案すると、事態はいい方向に向かっている。明日の集会で、私も発言しなければならない。ねえ、お前、明日も手紙を書くよ。集会がどんな様子だったかとか、そのほかにも話があれば書こう。

 お祖母さんとヘンリエッタ伯母さんによろしく言っておくれ<注2>。さあ、ジェニー、心から愛をこめて、さようなら。
                             お前の年老いた
                             ウィリアム・モリス

 まだ雪が降っていて寒い。今晩、また、刑務所の近くで講演だよ。ペントンヴィルでね。

注1:ハリー・スパーリング。モリスの娘メイの許婚。
注2:ジェニーはこの時祖母のもとに滞在中

■1888年2月23日 長女ジェニーへの手紙 

                             ハマースミスにて
私の大事なジェニー

 手紙ありがとう。ペルメルガゼット紙が手に入っているかどうか分からないので、どちらにしても火曜日の新聞を送るよ。月曜の大集会〈先述のバーンズとグラハムの釈放を祝うLaw and Liberty League主催の集会〉の様子が載っているからね。変わった集会だった。

 8:30開始と言われていたので、かなり早めに行こうと思って、エッジウェア・ロード駅に7:30に着いた。ところが、ごらん! 群衆が行列をなして降り、明らかに集会場〈アラン乗馬学校〉に向かっている。それでも、その時間で超満員ということもなかろうと、エッジウェア・ロードにさまよい込んで、誰に道を聞けばいいかと見回したら、魚屋に青いエプロンを付けた男がいた。彼は、私を見るなり「モリスさん」と呼びかけてくれて、同志だと分かった。それで私は場所を教わってそこに向かった。途中でいっしょになった人たちもいたが、一人などは「こんなに寒いから、きっと来るのを止める人がたくさんいるだろう」と言っていた。

 ところが、扉のところには人混みが出来ていたので、もう開場しているか聞いてみた。「ええ、開いています。でも入れませんよ」と男が答えた。それが8時10分前だ。そう言われたても、私は入ろうとしたが、SDFの人たちが一人、二人、がっかりした様子で外に出てくるではないか。そうするうちに、横の馬屋側に専用扉があるとの話を聞いた。それでそちらに回ってみた。途中でメイとハリーや仲間の何人かに出くわしたが、結局、その横の扉も正面の扉とまったく同じところに出ただけだった。

 しかし、なんとしても私は中へ入らねばと思って、他の者と別れて人混みの中に飛び込んだ。人々はすし詰めで立っていたのにとても礼儀正しく、私を前に送ってくれたので、なんとか、まだ空席を確保してあるところまで入ることができて、それから演壇に上がった。8時には、主催者確保の空席も解放せざるを得なくなったが、そうすると、会場にどんなに人が詰まっているか一望のもとになった。まるで、後方に小さな扉が二つついている平行四辺形だった。集会にふさわしい場所とはいえなかった。それにみんなが行儀よくしない限り、安全な場所ともいえない。でも、大丈夫、うまくいったよ。メイとハリーはなんとか、この大勢の人たちの間を通り抜けてきたし、ラドフォード夫妻やそのほかの多くの知り合いも入れた。

 座長のダビット<Michael Davitt>はかなり早く来たし、グラハムもそうだった。でもオブライエンとバーンズは8:30近くになるまで来なかった。みんな、とても興奮していて、知り合いを見ればヤアヤアと挨拶し合っていた。私は結局、発言しなくてもよかったよ。ダビットが予定プログラムに載っていないいろんな議員を演壇に上げて話しさせたからね。なかには非常に長話をする者もいた。最後に少しもめたのだが、私のように発言できなかったハインドマンが聴衆の一人として呼ばれて登壇して、集会に来ない自由党議員を攻撃し出したのだが――それ自体は正しいが――それから、そこに出席している自由党議員まで攻撃し始めたのだよ。これは無分別なことだ。だって、彼らは招かれたから参加したのだし、われわれとしては彼らの悔悟の気持ちを受け入れる心の準備が必要だ〈注1〉

 いずれにしても、分かってほしいのは、集会にはアイルランド急進派や社会主義者など非常に多種多様な人が集まっていて、かなり混乱したということだ。ダビットは感謝決議の挙手もさせずに閉会した。だから、私は〈提案する役目になっていたが〉その動議を提案する必要もなかった。実のところ、それでよかったよ。呼びかけるのにはとても難しい聴衆だったからね。規模が大きいからというより、異質な人々からなる聴衆だったから。

 ダビットの演説はいいとは思わなかった。オブライエンのマナーはとてもよかったが、あまり中味はなかった。ベザント夫人の演説は良かった。グラハムのもそうだ。長くしゃべりすぎたが、バーンズも聴衆をよく惹きつけ、評判が良かった。全体として、大成功だったし、私が予想したよりずっとうまくいった。私は、メイとハリーとラドフォード夫妻といっしょに、夜遅く帰宅した。

 オブライエンは不思議な顔をした男だ。まるで妖精バンシー〈注2〉の男性版のようだが、ずっと味わいがあるし、とても礼儀正しい。

 昨夜はクロイドンの近くで講演があって、バックスのところへ行ったが、早めの夕食のために帰宅したら、お前のお母さんはこの二、三日よりもずっと元気になっていたよ。

 大事なジェニーに心からの愛を送る。お祖母さんとヘンリエッタによろしく伝えておくれ。

 今はほんとうに寒いけれど、出来るだけ暖かくするから心配しないでいい。来週いつか、ハダム〈注3〉に行けるといいと願っているのだがね。じゃあね、ジェニー。

                             お前の年老いた
                             ウィリアム・モリス

注1:トラファルガー事件の際には直ちに運動しなかった自由党だが、一部はのちに集会への弾圧に抗議し出した
注2:バンシーとは、アイルランドやスコットランドの民話に出てくる妖精。女の姿で泣き叫び、その家にやがて死人が出ることを予告する。
注3:ロンドンから南。モリスの母(ジェニーの祖母)の家がある。

■1888年3月(17日?) ジョージアナ・バーンジョーンズへの手紙(一部) 

 10月か11月にまた沸き立ってくるまで、大体において事態はかなり静かだろうと思う。いま、トルストイの「戦争と平和」を読んでいる。そうだそうだと思いながら読み進めてはいるが、楽しんでいるとはとても言えない。でも(角度を変えて言えば)、相当の満足感はある。こういうロシアの小説は、ロシア知識人の奇妙な優柔不断の傾向について、意見が一致しているみたいだね。ハムレット(シェークスピアのだよ、原型になった本物のアムレートの方ではない)はデンマーク人ではなくロシア人だったのかもしれない。これで、ロシアの革命的ヒーローやヒロインの決断力や真っ直ぐなところが、少し分かるというものだ。ヒーローたちは、まるでこう言っているようじゃないか――「ロシア人というのはいつもグズグズ迷っていなければならないのか。私は事態を待ってなどいない。そういうことなら、見ろ、我々はすべてを投げ出して、真っ直ぐ死に向かって進んでやる」

 『アンナ・カレーニナ』には取りかかれそうにない。読書する場合は、何かもう少し鼓舞するものが欲しいよ。

 私は自分自身に腹が立っている。最近の出来事で、もっといろいろ出来たはずだという思いを振り払えない。じっさい何が出来たかは分からないのだけれども。でも、打ち負かされた気持ちで劣等感を感じている。もっとも、状況について浮かぬ顔をすべきではないだろうね。この3年間のように速く事態が進むとは、まったく考えもしなかったのだから。ただね、意見は広まったが、組織がそれにふさわしく広まっていないと改めて思うのだ。

■1888年3月26日 次女メイ・モリスへの手紙 

                             エディンバラにて

親愛なるメイ

 お前の誕生日に手紙を出さなくて、本当にすまなかったね。でも、人々に取り囲まれていて抜け出すのは難しいし、それに大したことはしていないとはいえ、非常に慌ただしくあっちこっちに動いているものだからね。メイ、心から誕生日の祝福を送るよ。これからずっと何年も幸せが続きますように。これは、からかっているのではない。じっさい、お前はまだそんなに歳を取ってはいないのだからね。歳と言えば、私自身、老いたウィリアム・ベル・スコット〈注1〉に会ってわりあい慰められた。彼は22歳も年上なのに、明らかにまだ人生を楽しんでいるようだった。

 いま、グラスゴーから戻ってきたばかりだ。天気を考えれば、なかなかいい集会だった。だって、1時ごろにはこぶし大の雪が舞ってきて、それに、なんと、講演時間のころには、みぞれがどっと吹きつけてきたのだからね。ところで、今日ここで講演をするが、きっと同じことになるだろう。

 去年ここに来たときより、エディンバラ支部はずっとよくなっている。グラスゴー支部は、マッカーバー氏の言い方で言えば、現状維持だ。

 メーホンがゆうべ私の講演に顔を出したので、声をかけたよ。肥えたようで顔色もよかった。それにきちんとした服装をしていた。服装については、アバディーン支部が一式そろえてくれたということで説明がつく。残念だが、メーホンはここでバラ色の評価を得ているとはとても言えない。彼の組織能力は、いわゆる「アヒルの卵」で言い表せる――ゼロだ。でもメーホンはわが同盟を脱退したということは否定していた。ただ、地域のSDFに入っただけだそうだ。ミッド・ラナークで出馬予定の(労働者)候補のための選挙の仕事を何か得たか、得ようとしているらしい。

 母さんによろしく言っておくれ。手紙を受け取って感謝していたと。私の動きについてだが、明日、ダンディーに行ってそこで泊まり、水曜日にはアバディーンに行って泊まる。それからツアーをやめてエディンバラにまた戻って、木曜日はそこで泊まって、金曜日には家に帰る。でも、万事都合が良ければ、途中のダーラムで降りて、金曜日の上りの夜行で帰るよ。だから、その場合には土曜の朝まで戻らないことになる。どちらになるか、金曜の朝に電報を打つ。この手紙を受け取った後は、もう何も手紙を出す必要はないよ、メイ。

 『アンナ・カレーニナ』はほとんど読んでしまった。芸術作品としては『戦争と平和』よりいいと思うが、ときどき、読むのに気が重くなった。

 ジェニーにも手紙を書いている。だからお前の手紙とあわせて読めるだろう。もうずいぶん長い間家を空けているような気がするよ。お前たちみんなにまた会えると思うとうれしい。

                             お前を愛する父
                             W. M.
 ジェニーに彼女宛の手紙を渡しておくれ。

注1:モリスの古くからの知り合い。詩人。

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