抄訳:モリスの手紙
Letters by William Morris
出典:The Collected Letters of William Morris Edited by Norman Kelvin
翻訳:城下真知子(
読みやすいように適宜改行しています

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 1888年  激動のなかで その6 


 
 [
訳者から]

 ジョージアナへの手紙(3月17日)に表現されたモリスの思いは、5月の社会主義者同盟(SL)総会を前後して増幅していく。SLの将来には暗雲がたちこめていた。

 エレノア・マルクス、エドワード・エイブリング、A.K.ドナルドなどが属するブルームズベリー支部は、「すべての社会主義組織の統合」を要求。これはモリスにすれば、せっかく社会民主主義連盟(SDF)から袂を分かって結成したSLを解体しろというに等しく、飲めるものではなかった。5月20日の総会は、朝10時半から夜の10時まで論議の末にブルームズベリー支部の議会選挙方針を否決した。それを受けて議会派は、執行機関である評議会に役員を送ることを拒否して野に降りた。

 だが、その後ブルームズベリー支部は、モリスらの反議会主義を漫画で揶揄したチラシをばら撒き権利停止処分となる。最終的には彼らはSLから離れ、社会民主主義連盟(SDF)のブルームズベリー支部として自らを再結成した。残ったSLの内部も安寧ではなかった。エレノアらに代わって評議会メンバーに選ばれた無政府主義者は次第に影響力をまし、モリスは彼らの過激な暴力的方針に悩まされていくことになる。

 ここに掲載するのは、この総会の前後から88年末までのモリスの手紙である。若い同志に宛てた手紙からは、モリスのうめき声が聞こえるようだ。――「私たちには、反目しあうという一種の呪いがかけられているようだ。……こういう状況の中で仕事をするのは、私にはとても辛い。社会主義者たちが、自分の同志に酷くあたるのは、本当に悲しいことだ」(12月15日)。「フェローシップ仲間の友情」を最高の価値と信じ、政治を知らない「ナイーブなロマンチスト」と揶揄されたモリスにとっては、内部対立は一番耐え難いことであっただろう。

 さらに、本音を吐露したジョージアナへの手紙の一部、癲癇の発作を抱えた長女への父としての優しい手紙もあわせて紹介する。

 なお、〈〉内は城下の注釈。

  ■1888年5月15日付 ジョン・グレーシャーへの手紙(総会直前) 

親愛なるグレーシャー

 君から今朝は連絡があると期待していたのだが。渡り合いは激しくなるだろう。前段の小競り合いのようなことが昨夜あったが、双方ともに、かってないほどの馬鹿さ加減を披露したよ。まったく、こういうことはうんざりだ。だがやり抜かざるを得ない。ドナルドその他は、出来るなら同盟を分裂させるつもりで固まっているし、私たち全員で投票に持ち込まない限りそうするだろうよ。

 だから、いずれにしても〈グラスゴー〉支部からの代議員を送ってくれたまえ。それに、はっきり言うが旅費が足りないなら私が払う。借りは、出来る時にゆっくり返してくれればいい。個人的にもぜひ君に会いたい。
                    君の
                    W モリス


■1888年5月29日 ジョン・グレーシャーへの手紙(総会後) 

親愛なるグレーシャー

 手紙をありがとう。その件でアドバイスするのは難しい。だが、概して言えば、議会派の支部と離れておいた方がいいと思う。アバディーン(支部)などのようにその線で動こうと主張する者がいることだろう。でも、もちろん、エディンバラ(支部)で私たちの線で考える人たちを孤立させたりしないように最善を尽くす必要はある。エディンバラの中にはとてもいい仲間たちがいるようだから。期待をかけすぎてはいけない。でも、ロンドンの私たちのように党派的になってもいけない。

 もし、SLLL(スコティッシュ土地労働同盟)が議会ゲームを主張するようなら、それはそれで置いておいて、加盟せずに外部から誠心誠意関わればいい。まあ、でも、評議会が発したばかりの新しい「宣言」にSLLLが賛成するかどうかだね。

 その「宣言」というのは、テストのようなものだ。私が書くように指名されたが、意識的に出来るだけ穏やかなものにした。それぞれの支部で試金石として使うように勧めるよ。

 これが昨日やったことだ。それから昨日は、ブルームズベリー支部があの馬鹿げた抵抗を撤回しない限り、支部の権利を停止する(解散ではない)とも決めた。これができる範囲での最善の方法だと思う。私自身は、彼らが平和を守る約束をするなら解散させたくはない。

 君がアバディーンに行ってリーサムに会うのはいいね。彼はいい男だ。この〈議会利用の〉問題を納得してくれればね。

 これは仕事前に急いで書いた手紙だ。だから、まとまっていないが勘弁してくれたまえ。君がハマースミスに来てくれて楽しかったよ。
                   いつでも君の
                   ウィリアム・モリス

■1888年7月29日 ジョージアナ・バーンジョーンズへの手紙(一部) 

 運動のあらゆる面について、ちょっと意気消沈気味だ。ひょっとしたら、私たちは少し頑なに妥協を拒否しすぎたのかもしれない。いつも思うことだが、これは原則の問題というより、気質の問題だという気がする。

 〈議会派の主張ではないが〉一定の移行期はもちろん不可避だ。つまり、国家的な社会主義〈注1〉を伴う期間ということだが、それについてはかなり厳密だ。それに、理想的な社会主義、あるいは共産主義と言ってもいいが、その受容が進んでいるとかいないとか言われているとしても、事態は確かにこの国家社会主義に向かいつつある。それも速やかにだ。

 だが、そうすると、うんざりするような議会のダラダラした駆け引きが出てくるが、私など、それにはまったく役に立たない。直接的目標は獲得したとしても、ほんの少し国家社会主義に近づいただけなわけで、実現したって私にはまったく退屈なゴールでしかない――こんなことはみんな、うんざりだ。

 それに、私以外にももっとたくさん同じ立場の理想主義者(私自身をこう呼ぶことが許されるとしたら)がいるはずだし、そうだとしたら、それら理想主義者が一致団結して、御大層な駆け引き(たとえ必要かもしれないとしても)には関わらないようにする、ということでは何故いけないのだ。

 確かに常に理想を説かなくてはならない。しかし、他面では、ただ「貴重なこと」のために、私は最善を尽くしていないのではないかと感じて、ときどき自分にイライラしたりもする。
 
 物語〈House of Wolfings〉は、また一章書き終えた。まあまあ良いと思う。できるだけ早く仕上げてしまおうと思う。書き上げたら、活字にする前にもう一度読み直すつもりだ。

注1:モリスはこれを、資本主義の所有関係や階級関係を根本的に変えることなく、水道などの基本的な設備を国有化して資本主義の問題点を補修する「社会主義」という意味で使っている。

■1888年8月7日 長女ジェニーへの手紙 

                         ハマースミスにて
私の大事な大事なジェニー

 どんなにお粗末なものであれ、お前に手紙を書かなくてはいけない。私は手紙が得意でないことは分かってくれているよね。お前がそこ〈注1〉を気に入ったと聞いてうれしいよ。きっと、健康のためにいいにちがいないから。

 こちらは、この日曜日はわりあいいい天気だった。ただ風は少々強かった。ほら、天気から始めるだろう、気候はとてもよくなってきているからね。朝はラティマー通りで少数の聴衆相手に長い演説をした。そして晩はウェルチェ通りでかなりの聴衆に講演。それにコーチハウス〈注2〉でもいい会合が出来た。

 昨日は、ピーターシャムに遠足に出かけたよ〈SLが開催した会員や亡命者を交えたリクリエーション。省略〉。お前のりっぱなお父さんは徒歩競争に参加した。メインウェアリングといっしょにスタートを切ったのだが、あまり見栄えがよくなかった。というのも、スタートは間違いで、半分走ったあとでスタートのやり直しに呼び返された。一息つかないと再スタートできなかったよ。でも、この行事は間違いなく有意義だった。4時半に家に帰ってきたが、かなり疲れた。
 ピーターシャムはとてもいい所だったから、お前が帰ってきたら、あるいは春にでも行ってみなくてはね。美しいヒマラヤスギが生えていて、みなどれも枝振りも良く堂々としていた。
 知っていると思うが、土曜日にはノリッジに出かけて月曜遅くか火曜早朝まで帰って来ない。お前のお母さんを金曜日にハダムに連れて行くつもりだ。そうすれば私がいない間でも、まったくの一人にならなくてすむからね。

 今朝、少しのあいだだけど、ネッドおじさんとフィル〈注3〉に会ったよ。二人ともとても元気だった。ねえ、ジェニー、もう読む本がまったくなくなってしまって、私の本棚の16〜17世紀のフォルダーから選ばないといけないほどだ。マムゼンの歴史書をほぼ読み終えて(おかげでげっそり痩せたよ)、今は料理本でも読まざるをえない始末だ。「それなら私の本を読んだら!」ってかい。いや、本当にそうしよう。だって、料理の本は、台所で本気で料理する時以外は平凡な読み物だからね。

 ところで、午後にマレー〈注4〉が訪ねてきたよ。相変わらず元気いっぱいだった。

 さあ、ジェニー、これはお粗末な手紙になるって警告したけど、その通りになっただろう。だから、最後は天気で締めくくろう。今日は暑くて陽射しは明るくて庭はとても綺麗だ。大事な私のジェニー、お前も楽しいひと時を過ごしているように。
 愛情をこめて
                    お前を愛する父
                    ウィリアム・モリス

注1:ジェニーは病気療養のため養護施設に入った。
注2:ハマースミスのモリスの住居ケルムスコットハウスにあるCoach House。モリスは、SDFに加盟後、馬車小屋を改造して会議室にした。そこで著名人を招いて毎週講演会を開催していた。現在もウィリアム・モリス協会が講演会などで定期的に使用している。
注3:親友の画家エドワード・バーンジョーンズとその息子
注4:チャールズ・フェアファックス・マレー。芸術家・収集家、SPAB会員フローレンス在住

■1888年8月28日 ジョージアナ・バーンジョーンズへの手紙(一部) 

 しばらくのあいだ、すべての社会主義組織が身動き取れない状態になっても驚かないね。しかし、それでも何かせざるを得ないだろう。知性ある人々に事態を考えてもらわざるを得ない。そのうちに、また状況が好転する分岐点が訪れて、積極的に活動できる時も来るだろう。そのときにまだ生きていれば、また参加しよう。その場合は、ひとつだけ利点がある。最初に活動した時より、どうすればいいか、何を耐えればいいかをよく分かっているということだ。

■1888年8月29日 ジョン・グレーシャーへの手紙 

親愛なるグレーシャー

 君からの手紙をもらって、とてもうれしかった。ありがとう。君がグラスゴーについて知らせてくれたような良いニュースをロンドンからも送ることが出来たらと思うが、こちらはだいたいにおいて貧相な状態だ。

 それでも私たちの〈ハマースミス〉支部は良好で、素晴らしく頑張っている。名簿上で会員が増えたかどうかは分からないが、活動に興味を持つメンバーは増えていて、ほんとうに支部は活発だ。その他は、あまり良いとは言えない。関心を示した者数人も、頑固で喧嘩好きだ。評議会の書記長〈注1〉は(はっきり言って)落第だ、もちろん人はいいのだが。イーストエンドでの宣伝活動も失敗だ。機関誌コモンウィールの購買数は落ちている、全面的に落ちているというべきか。もちろん、あんな総会の後では無理もないことだ。

 こんな内容では、ずいぶん陰鬱に響くだろうね。でも、以前より悪くなっているかどうかと言えば、果たしてどうだろう。イーストエンドのメンバーたちの興奮のほとんどは、「室内」での騒ぎが産んだものだ。つまり、私たちの内部騒動の結果なわけで、議会派が出ていってしまったら興奮も覚めて、興奮していた仲間もいなくなったというわけだ。

 私はこれで打ちしおれたりはしない。というのも基本的にあらかじめ分かっていたことだからだ。いっしょに活動していた男たちを観察して、彼らの弱点は分かっているし、こうなるに違いないと思っていた。一人、二人は虚栄心の強いペテン師だった。多くは、かわいそうに、自身の境遇ゆえに論争が出来なくて、ただ衝動的な感情――まったく論理的でない、感情とかを基礎にした――を持っているだけで、刺激的なことが何もなくなれば、消えていなくなってしまう。というのも、少しでも問題の本質を把握したことがなかったからだ。それに、多くの者は恐ろしく貧乏で、皆のために活動することもできない。そのうちの一人、二人は、君のところのマクラレンのように結婚して奥さんもいるから、活動に出て来ることが出来ない。また短気な者もいるし、なかには、気の毒なレーンのように、病弱な者もいる。だから全体として、彼らのなかで最悪の者でも、関心のない他の人々よりひどいわけではない。たいていは、むしろよりましな人たちなのだ。ずっとましな人もいる。だから、もし私たちが集団を解散して新しい一団を獲得したとしても、どっちにしてもきっと同じような要素を含んでいることだろう。だから、ともかく辛抱強く、いっしょに仕事をするにふさわしい人々をまとめていくしかないのだ。

 もちろん、脱退では大きなダメージを受けた。脱退したうちの何人かは仕事が出来たし、たくさんとはいえないが機関誌を売っていたからね。彼らとのあいだになんらかの妥協が可能だったら、その道を選んだだろう。だが、それは不可能だった。向こう側はできるなら私たちを利用しようと必死だったし、SLをぶち壊そうと無謀な試みをしてきたからね。

 ところでノリッジ支部について言っておかなくてはならない。ノリッジは一時解散の兆しを見せていたが、しっかり立ち上がって、人数も増えたし熱心に活動してくれている。
 (中略)

 いま私たちに必要なのは単なる数ではなくて、堅実で我慢強い労働者の集団だという確信がますます深まるよ。ただ、そういう労働者がおおぜい必要なのだが。

 最後に、もう一度ありがとう、君の手紙でとても元気づけられたよ。私は決してあきらめるつもりはないからね。

 あらゆる面での幸運を祈る。

                    同志愛をこめて
                    ウィリアム・モリス

注1:新しく選ばれたフレッド・チャールズ。アナーキスト。

■1888年12月15日 ジョン・グレーシャーへの手紙 

親愛なるグレーシャー

 機関誌への記事〈詩人マシュー・アーノルドが春に出した書物の批評〉を送ってくれてありがとう。活字組みになったときに読ませてもらうよ。アーノルドの本は持っていないし、彼の本は必ずしも読みやすい本でもない。だから、申し訳ないが私は助けにならないね。身内にご不幸があったこと〈グレーシャーの姉の死〉、心からお悔やみ申し上げる。

 さあ、仕事の話だ。君の支部は支払ってくれていると思うが、機関誌コモンウィールの購買数は減っている。少なくとも増えてはいないし、支部は全体として納入していない。だから、週刊ではなく月刊誌にただちに切り下げざるをえないようだ。前回の評議会は、そうせざるをえないということで、この件を相談するよう全支部に連絡することで合意した。支部がはっきりした約束をしてくれない限り(そしてそれを守ってくれない限り)、この状況を解決する道はない。

 残念なことだが、ここロンドンでは、ブルームズベリー支部を退散させるにあたってのイザコザを無くす術(すべ)はないようにみえる。私たちには、反目しあうという一種の呪いがかけられているようだ。わが同盟内の無政府主義集団は絶対にものごとを極限まで進めるつもりのようで、無政府主義を宣言しないなら同盟を分解させる気だ。もちろん、少なくとも私はそんな宣言をするつもりなどない。ところが他方「穏健派」のベザント夫人たちも私たちに対して馬鹿げた攻撃を仕掛けて、訳の分かった党内部(ああ、党などという言葉を使わないといけないとしたら)で団結を固める一切のチャンスを奪いつつある。もはや、地方組織の強化を着実に取り組む以外に道はない。

 ハマースミス〈支部〉は申し分ない状態で、基盤は固まっている――とくに、講演者は万全だ。だが、支部と、もっと容赦ない友人たちとの間で変な臭いがただよいつつある。基本的にこれは、支部が暗黙のうちに、そして本能的に、同盟のもともとの理想を守り続けているからだと思う。支部は確信に満ちた本物の社会主義者をつくりだすことに専心していて、街頭で警官を襲撃する(そして逃げる)という戦術であれ、公立小学校を運営する学務委員会に候補者を立てるという戦術であれ、そんな戦術要件の可決などには煩わされないからだ。こういう状況の中で仕事をするのは、私にはとても辛い。社会主義者たちが、自分の同志に酷くあたるのは、本当に悲しいことだ。

 ここに書いたことはすべて、絶対に内密にして君だけに留めてくれたまえ。ほかの人にしゃべってはいけないよ。若いメンバーのやる気を失わせたくないからね。でも、君は運動の経験が十分あるから、がっかりさせないように、あらかじめ知らせておく。けっきょくのところ、これらはみな、運動の一角に起こっていることにすぎないからね。全体として距離を置いてみれば、運動はとんとん拍子に進んでいる。〈アバディーンの〉リーサムが手紙をくれて(葉書ではないよ)、同じようなことを言っていた。リーサムがそんなに若くて元気溌剌としていることをとてもうれしく思う。

 いずれにしても、記事をありがとう。もしいま月刊にしたとしても、注意深くやればまた週刊に復活できるのではないかという気がしている。また手紙をくれたまえ。あらゆる面で幸運を祈る。

                   同志愛をこめて
                   ウィリアム・モリス

 
 [
訳者から]

 激動の1888年の締めくくりに、モリスが母と娘とに相次いで送ったクリスマスと年末の手紙を紹介する。激務に忙殺されながらも、家族を気遣う様子がうかがえる。


  ■1888年12月24日付 エマ・シェルトン・モリスへの手紙 

                      ロンドン・ケルムスコットハウスにて

親愛なる母上

 クリスマスの日に届くようにと手紙を書いています。私たちみんなから、お母さんとヘンリエッタに、心をこめてクリスマスの挨拶を送ります。たった今、お母さんからの手紙を受け取ったところです。ランプが無事に届き気に入ってくださったと知ってうれしいですね。実用的なランプとしては、私たち(モリス商会)の品揃えのなかであれが最高です。もちろんもっと手の込んだものもありますが。

 ジェニーからとても元気な手紙が届いています。向こうでなんとか良くなっているようです。もちろん、ジェニーがいなくて私はとても寂しいのですが、ジェニーにとっては根本的に環境を変えるのは意味があるようです。

 お母さん、ぜひ顔を見に行きたいと思っているのですが、1月の第2週まではとても行けそうにありません。第2週には、訪ねるようにしてみます。

 今日は南西の強い風が吹き、雨もいくらか降りました。雨よりも霧の方がずっとましなんですがね。昨日はとても素晴らしい日で、土曜日もそうでした。土曜日には(ロンドン近郊の)ミドルセックスのスタンモア・ホールまで出かけなければならなかったのですが、なかなかきれいなところでした。(訳注:モリス商会はスタンモア・ホールのデコレーションを請け負っている)

 お母さん、最後にもう一度、あなたとヘンリエッタに深い愛をこめて

                             あなたを
                             心から愛する息子
                             ウィリアム・モリス


■1888年12月30日 エマ・シェルトン・モリスへの手紙 

                      ロンドン・ケルムスコットハウスにて

親愛なる母上

 あの小さな本<註:1888年にモリスが発表した『The House of the Wolfings(仮題:ウルフィング族の館)』>を喜んでくださったとのこと、とてもうれしいです。新年のご多幸と健康を祈って、手紙を書いています。今週の木曜日には訪問したいと思っているのですが、まだはっきりしません。明日か水曜日には、確実なことを知らせる葉書を送ります。今週がだめなら、来週には行くようにしますが、どちらにしても連絡します。

 まるで、冬が今やっと始まったようですね。こちらでは今朝は霜が白く降り、濃い霧が立ちこめました。もっとも、天気予報では明日は天気が良くなると言っています。

 このクリスマスは静かなクリスマスでしたが、みんな元気です。ヘンリエッタによろしく伝えてください。新年が良い年になりますように!

                            あなたを心から愛する息子
                            ウィリアム・モリス


■1888年12月30日(注) ジェニー・モリスへの手紙 

                      ロンドン・ケルムスコットハウスにて

私の大事なジェニー

 大切なわが娘にとって新年が良い年になるように、心の底から願っている。あまり、目新しいニュースはないのだよ、ジェニー。小包を送ったが、箱の中には銀で出来たかわいいアンティークの城主像が入っている。お前の母さんがキーン氏の店で見つけたものだ。ハマースミスのキング通りでも、ときによってはいいものが出てくるものだね。

 ハマースミス支部の年末ティーパーティーは土曜日に開催したが、大成功だった。最初は、音楽と朗読がとても早く終わってしまったこともあって、ちょっと退屈なパーティーになるんじゃないかと危惧したんだが、そのうち、とてもいい考えを思いついた者がいて、ダンスを始めたんだ。それで、みんなとても楽しんだし、とても賑やかだったよ。ラドフォードさんがいわば司会のような役目を務めたんだが、とても張り切って盛り上げてくれた。

 メイとハリーは長い時間かけてパーティーのために部屋の飾りつけをしたが、とてもよく出来ていた。白い漆喰の壁に緑の小枝が映えてね。でも、今はもう取り外してしまったよ。

 お前のところは、ロンドンよりいい大晦日になるように祈っているよ。こちらは、間違いなく霧が深い。1週間前の火曜日を別にすると、今までで最悪の霧だね。

 明日の1月1日には、大晦日を祝うためにバックスのところに行くことになっている。今夜は社会主義者同盟の評議会で、私は顔を出さないといけないものだから。

 では元気で、ジェニー。心からの愛をこめて。
                             お前を愛する父
                             ウィリアム・モリス

<註> 日付は12月30日となっているが、文脈から12月31日に書いていると思われる。


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