抄訳:モリスの手紙
Letters by William Morris
出典:The Collected Letters of William Morris Edited by Norman Kelvin
翻訳:城下真知子(
読みやすいように適宜改行しています

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 1895年〜1896年 



■1895年8月29日 ジョージアナ・バーンジョーンズへの手紙より 

            ケルムスコット・マナーにて

 いま考えていたところだ――なんと多くの時間を無駄にしたことだろう。傷ついたとしても(とくに最近のことだ)悲しみや怒りを飲み込み、それを見せもせずに、何もしないままで! そんなとき、いっそ寝室に閉じこもり、そこで1、2カ月、人生のどんな役割も否定したら、どうなっただろう。じっさい、そういうときはなんどそうしたいと思ったことか。きっと、とても効果的だっただろうと思わずにいられない。たぶん君は覚えているだろうが、このやり方は、アイスランドの英雄たちが行なった方法だ。どうやら大成功だったようだ。まあ、かなりうまくやらないといけないとは認めるが。

 ここに来た日は、素晴らしい昼下がりだった。オックスフォードからレチャレイドへの旅を楽しむ用意は万端だった。じっさい、楽しむことは楽しんだよ。ああ、だがなんということだ! ブラック・バートン近くの美しかった小さな中庭のそばを通ったとき、最悪の恐れが現実になっていたのだ。かつて見た小さな納屋は改修されていた。壁を伝う木は切り倒され、トタン屋根で仕上げられていた。見たときには気分が悪くなったよ。これが今どきの物事のやり方なんだ。20年前には素晴らしい建物であふれていたのに、これから20年のうちにこの田舎は何もかも無くなる。それなのに私たちにはどうすることもできない。世の中は、「このまま行って、そのあとどうなるか見ようじゃないか!」と言った方がましなくらいだ。そんななかで、私はほんの少しの「アンチ・スクレイプ(古代建築物保存運動)」をやる以外には何もできない。「目にできるあいだに麗しきものを」だ。

 私は年老いた。そして、何もなされないのを見ると、この呪われた時代にロマンスや美の感覚を持って生まれなければよかったと、思うくらいだ。


■1896年4月28日 ジョージアナ・バーンジョーンズへの手紙より 
 
            ケルムスコット・マナーにて

 1週間前に君と会ったときより良くなったとは言えないと思う。だが、悪くもなっていない。ただ、分かるだろうが、この静かなところに籠って、事業の忙しさや、訪れる人や、医者から離れていれば、鬱陶しくなるものだ。それに、ときには、自分がとても扱いにくくなっていると思う。

 それでも仕事は、描く方も書く方もやっている(注)。もっとも、少しずつだがね。ウォーカーが土曜日と日曜日に居てくれたので、とても助かった。エリスは土曜日に来て、私が帰る日までいっしょに居てくれる。ここではすべてがとても美しい。今日までのところ、季節はよく晴れていて、草は萌えるように育ち、リンゴの花はこれまでにないほど豊かだった。太陽光は充分なのだが、どちらかというと暖かい春雨が降る日が交互に来る方がいいのだがね。雨の兆しのない曇りの冷たさで覆われて、花を枯らせる風が吹くよりはね。

 とはいえ、庭園はとても楽しんでいる。歩き回るのに、少しも飽きない。私は音楽が嫌いだと君は思っているだろうが、ミヤマガラスとクロウタドリの調べはずいぶんと癒しになっている。この気候では無理だから、花々はまだだ。思いがけず驚いたのはラズベリーの木だ。ジャイルズが綺麗にトレリスにしてくれたから、まるで中世の庭園のようだ。素晴らしく生い茂っているよ。
 それにホブズは、前から必要だった小屋と納屋の屋根を葺き替えた。それもトタン屋根の恐怖から私を守ってくれているよ。だから、少なくとも村では少しの改善があったというものだ。

 (注):モリスはこのとき『The Sundering Flood』を書き、ケルムスコット・プレス版『The Earthly Paradise』のボーダーを描いていた



■1896年5月4日 フィリップ・ウェブへの手紙 

            ケルムスコット・マナーにて
 友よ
 手紙をわざわざ書いて私の調子を聞いてくれて、ありがとう。そう良くはなっていない。これは冷静に言っているよ。残念ながら、回復したというより、むしろ弱くなっている。それに、腹痛と手足の痛みに悩まされている。だが、ここに来たときずいぶん酷かった咳は、今はかなり良くなった。良く眠れているのにも、とても救われている。胃は、検査しないといけないのは確実だ。火曜日には戻るので、できるだけ早い機会にブロードベント(上流階級を相手にする医師)に会おう。さあ、これでややこしい話は終わりだ。

 エリスは火曜日までここにいて、それからトーキー(イングランド南西部の都市)に帰る。私をかなり面白がらせてくれるし、とても優しくて思慮分別もある。コッカレルは明日、月曜日にここに来る。火曜日に戻れるよう、私を手助けしてくれるはずだ。言っていた本も持ってくるはずだ。(中略)

 天気はかなり酷い。この寒気がすぐに雨に変わらなければ、収穫は悲惨なことになりそうだ。

 もしできるなら、ハマースミスに会いに来ておくれ。

                 君の
                 ウィリアム・モリス

(注):翌日、モリスはロンドンへ出発した。そして、二度とケルムスコット・マナーを訪れることはできなかった



■1896年9月1日 ジョージアナ・バーンジョーンズへの手紙 

 すぐ来ておくれ。君の愛しい顔が見たい。


■1896年9月3日 ジョン・グレーシャへの手紙 
 
 親愛なるグレイシャー

 親切な手紙、大変ありがとう。病状はどうも良くないが、良くなろうとしているよ。本当にありがとう。
           友愛をこめて
           WM


■1896年9月14日 長女ジェニーへの手紙 

 親愛なる我が子へ

 ペンを持つ手が震えなければいいのだが。そうすればちゃんとした手紙を書けるのだけれどね。でも、こういう状態だから、こののたくりで辛抱しておくれ。お前の手紙はとても気に入ったよ。また手紙を書いておくれ。もし私が返事を書かなくても、あるいはこういう手紙でも許しておくれ。
           愛する父
           WM

少し良くなっていると思っている。
 


同年10月3日、モリスは62歳の生涯を閉じた。


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