抄訳:モリスの手紙
Letters by William Morris
出典:The Collected Letters of William Morris Edited by Norman Kelvin
翻訳:城下真知子(
読みやすいように改行しています


手紙一覧に戻る翻訳リストに戻るトップページに戻る

 1881年 模索のとき

  ■1881年1月1日、ジョージアナ・バーンズジョーンズへ
……
 じつはこのところ、少し物悲しい気持ちなのだよ(ちょっと大げさだが、よい表現が見つからない)。だからといって、生活はそれなりに楽しんでいるのだが。厄介なことを抱えている中年男なら(もっとも、普通よりは少ないが)、たまにはそういうことがあってもいいだろうという程度の物悲しさだ。

 人はこれほど落ち込んでいるときは、自分の問題を考えるのをやめて、大所高所に思いを馳せるものだ。だから、わたしの頭は、すこしずつ変化が表れつつある世の中の一大変化のことでいっぱいだ。まちがいなく、新年は、その変化の大きな一里塚になると思う。

 新年といっても、わたしにとっては、きっとあなたもそうだろうが、一日一日が始まりであり、一年はその積み重ねで、古くからの習慣とは無縁だ。だからといって、こうして今日、新年の希望をこめてあいさつを送っても、あなたなら儀礼的だとか迷信的だと思ったりしないことと思う。

 新しい年こそ、金持ちの地位をもっと低くし、貧乏な人々をもっと高める流れへと大きく動きますように! これがすべてのことのなかで、もっとも望ましいことだ。そして、人々がその辞書から最終的に「金持ち」とか「貧乏」とかいうひどい言葉を消し去ることができますように!
 
〔訳者から〕
 これが書かれたのが1881年の元旦だという点に注目。戦争反対の「東方問題」運動に失望して政治から手をひいてから約2年余り。1883年1月に「社会民主連盟」加盟を宣言するまでには、まだ2年。この時期にもモリスは、貧富の階級差がなくなる社会を願う気持ちをずっと願っていたということが、この手紙からうかがえる。


  ■1881年7月2日、ジョージアナ・バーンズジョーンズへ
 君はモスト氏[注1]の判決について見たことだろう。それに、コールリッジ[注2]のまったく馬鹿げた演説もきっと読んだだろう。考えてもごらん、抑圧と偽善が世界を支配している!こういう判決が人々をがっくりさせるのだ。そして政治に幻滅し、もはや革命しかないという気持ちに駆り立てる。まさにわたしの場合がそうだ。

 じっさい、わたしはずうっと、社会が近代的になりスムースに動いているように見えるが、じつは不平等が基礎にあり、抑圧と人々の臆病さで維持されていると思ってきた。いや、感じてきたと言ってもいい。それでもわたしは、事態がしだいによくなるだろうと希望的に見ていた。もちろん、最後の闘いだけは暴力や狂気が混ざり合うにちがいないが、それもほんの一瞬で言うほどでもないだろうと思ってきた。

 だが、モスト判決のような事件や人々の無関心さを見ていると、漸進的改革を信ずるわたしの気持も揺らぐと言わざるをえない。

[注1] ドイツ社会主義者の機関紙『自由』の編集長。暗殺されたロシア・アレクサンダー2世の「誹謗を印刷した」とされて、殺人教唆の罪で実刑16か月を宣告された。

[注2] 最高法院判事のジョン・デューク・コールリッジ。問題の記事を「スキャンダラスで卑怯だ」と非難した。詩人コールリッジではない。

 〔訳者から〕
 「社会民主連盟」加入の1年半前の段階で、すでにモリスが(議会を通した)漸進的改革をあきらめて、革命の道を考え始めていたことを示す貴重な1通。ジョージアナは、政治や社会に関しての考えを正直に吐露できる、数少ない友だった。


  ■1882年4月27日、ウィリアム・ベル・スコットへ
 

(前半略)
……
ガブリエル(ロゼッティ)の死については、彼の友だちすべて、ほとんどすべてが感じること以上に、何が言えるだろう。世界にぽっかり穴が開いたようなものだ。もちろん、最近ではほとんど会っていないし、再び会う可能性もほぼなかったわけだが。私が若いときには、ずいぶん親切にしてくれた。ある意味で、天才の偉大な素質のいくつかを、ほとんどそういうものを持っていたと言っていい。あの傲慢な人嫌いさえなければ、どんなに立派だったことだろう。人嫌いは彼の作品を台無しにし、ついには早死にさせてしまった。偉大な人も人間だなあ、と思わせるような、一筋の人間性を欠いていたし、人生を楽しむこともできなかった。それがあれば、もっと生きられただろうに。彼自身にとっても、我々にとっても、作品づくりを楽しいものにしただろうに。でもまあ、しかし、世界に、すぐには埋められない穴を開けてしまったと言わざるを得ない。

永遠に君の
ウィリアム・モリス

手紙一覧に戻る翻訳リストに戻るトップページに戻る