抄訳:モリスの手紙
Letters by William Morris
出典:The Collected Letters of William Morris Edited by Norman Kelvin
翻訳:城下真知子(
読みやすいように改行しています

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 1886年〜  激動のなかで


 
 [
訳者から]

 1886年に入ると、不況が深まり、生活に苦しむ労働者大衆の自然発生的抗議行動がしだいにうねりを増し加熱していく。モリスの宣伝・講演活動もいっそう激しさを増す。

 そんな1886年の2月8日、労働者団体Fair Trade Leagueが失業に抗議し雇用を要求してトラファルガー広場で集まった。集会は、実質的にSDF(社会民主連盟)が主導権を握り、ハインドマンなどが演説した。集まった労働者は、集会後、ペルメル、ピカデリーからハイドパークへと行進したが、沿道の社交クラブからのヤジに怒って暴徒化し、窓ガラスを壊し店舗で略奪を行なった。この事件は新聞に大々的に報じられ、「黒い月曜日(Black Monday)」と呼ばれた。

 この事件をめぐって、画家のエドワードや、その妻ジョージアナがモリスを心配して手紙を送ったが、モリスがそれに返事を出している。エドワードは大学以来のモリスの友だちで仕事上のパートナーでもあるが、モリスが政治運動に足を踏み入れたことに驚愕し、その点には距離を置いてきた。言っても聞くモリスではないと半ばあきらめていたが、大事件を知り、モリスに遠回しに意見してきたと思われる。

 また、激務のなかでも、障害を持ち療養する長女ジェニーを気づかい、自分の日常を知らせることも忘れていない。

  ■1886年2月16日付 エドワード・バーンジョーンズへの手紙から

 いろいろありがとう、ネッド、心配させたね。でも、今のところ、そういう心配は無用だ。暴動に転化しかねないような集まりに首を突っ込むようなことはしないよ。

 それに、ほかの点について言えば、単に意見を表明しただけで攻撃してくるほど政府が馬鹿でボケているとも思わない。もし、そんなことをしたら、自由を尊重する人はみな我々の側に付くだろうし、政府は叩かれて無様な姿をさらすことになるからね。

 私に関して言えば、せいぜいあっても、刑事法廷に召喚される、ほんの茶番以上のことにはならない。それも夏までは続かないだろう。現在の興奮状態(ほとんどそれ以上ではないのだ)は絶えると思う。というより、ある種のどんよりした不満状態へとしぼんでいくだろう。我々の運動を宣伝するにはいい状態だけれど、ただの無目的な暴動へと人々を導いていくようなものではない。

 だから、まったく私自身については心配していない。自分の立場については、はっきり心を決めているのだ。君はおそらく例の問題に関する私の意見には賛成しないだろうが、私の出発点は何らかの行動を取らざるを得ないということだから、私なりに正しいことは認めざるを得ないだろう。

 
 この問題については、また会ったときに話しするよ。なんにせよ、ねえ、ネッド、私のことを心配してくれて、本当に感謝している。
 

 こんなに年を取っていなければ、と思うよ。もう20年でいいから若ければなぁ。でも、そうだとしたら、なんらかの複雑な女性問題でも起こっているかもしれないしね。やっぱり、このままが一番いいだろう。

  ■1886年2月16日 ジョージアナ・バーンジョーンズへの手紙から


 よく思うことだが、我々は事態の進展に不意を突かれる。しかも、何の備えもないままに。これからも何度も何度も起こるだろう。そして、混乱の中で哀れな姿をさらす仲間も出るだろう。

 私自身は、この興奮状態がもう一度落ち着いてほしい。産業労働者の状況はひどい。もっと良ければと思うよ。でも、彼らがやっていることが運動の宣伝を妨害するとは思わない。むしろ、労働者に近づき、少し余裕を持って賢明に闘うことを伝えるチャンスが出来るかもしれない。それが実現できなければ、支配階級は我々に革命を強いて来るだろうが、それならそうさせればいい! 最終的にはいい結果が生まれるに違いない。

 君が少しでも、私が経験したようにイングランドの下層階級(なんと下層におとしめられていることか!)の無気力状態に苦しんでいたなら、彼らが目覚めるのをきっと喜ぶに違いない。たとえ、それがどんなに醜い形態を取ろうとね。


 この騒ぎの中での私の指導者としての能力について言えば、自分の力の小ささをまざまざと感じるよ、本当だ。でも、いずれにせよこれが私の人生であり、仕事だ。だから、全力を尽くさなければ。


■1886年5月15日から20日 ジョージアナ・ バーンジョーンズへの手紙より

 競争は嫌いだ。それほどでない人たちとの競争でも退いてしまうくらいだ。じっさい、私の欠点はそれとは正反対のところにある。安逸さを好み、夢見がちの怠け者で、だらしないお人よし――だいたい、自分を責めるのはこういうところだ。

 まあ、私は「穏健な社会主義者」だそうだから、それでも差しさわりはない。それに、おかげで、虚栄心で一杯になるなんてこともない。こんな(程度の)組織の中では、簡単に指導者の一員になれるのだからね。いや、トップ指導者にもなれるだろう。でも、我々が抱える手荒な仕事のなかでは、私などは指導者たりえないし、まったくなりたいとも思わない。

 こんなことを言うのは、穏健な者たちのなかにいて、少し自己欺瞞が生まれていると感じるからだ。少々であっても、自己欺瞞には変わりない。


■1886年6月15日、長女ジェニー・モリスへ

 こまやかな手紙、ほんとうにありがとう。おかげで父さんはとても嬉しくなった。前の手紙を書いてからいろんなことがあって、話すことがいっぱいだ。

 忘れてしまったが、先々週の土曜日(6月5日)、ストラトフォード(ロンドンの街角)の問題の場所で演説したが、それがどうだったかは言ったかい。ともかく、警察に「逮捕」されるだろうと覚悟して出かけたんだ。そうなれば、次の月曜日にはやっかいな午前中を過ごしたうえで、罰金を科されたことだろう。ところが、集会はとても秩序正しく行われて警察が敢えて妨害する余地がなかった。たぶん、急進派(のちにホイッグ党と共に自由党を形成)の二人が演説したことも影響しているだろう。集会も少し短かった。ところが、先週の土曜日(6月12日)、彼らはモーブリーを「逮捕」して、きのう彼に20シリングの罰金と裁判費用の負担を科したのだ。馬鹿げているじゃないか。私は見逃して、モーブリーを捕まえるんだから。   【注1:モーブリーはモリスのように「中流階級」でもないし、議会の既成政党である急進派でもないので、警察はただちに介入したということを示唆している】

 でも、この路上での演説はまだあきらめないよ。急進派が心底から参加するよう巻き込むつもりだ。まったくただ普通の集会で、なんの邪魔にもなっていないのだからね。

 どちらにしても、来週の月曜からは前にも言ったようにスコットランドに出かけるから、土曜日には行かないがね。1週間、留守になる。だから、ジェニー、お前に会いに行く件だが、もし可能なら今週訪ねていく。でも、短い時間しか滞在できないだろうし、いつになるかは、ギリギリまではっきりしない。でも、行けるとしたら金曜日だよ。

 
 ほかの出来事と言えば、日曜日(13日)に(社会主義者同盟の第2回)年次総会があって、まる一日かかった。私とメイは夜の11時半に家に着いたよ。バックス・メイホンとかわいそうなヘンダーソン氏がここに泊った。ちょっとうんざりするような会議だった。代議員じゃないから、発言出来ないし。でも、結局これはむしろ幸いだった。論争の中心テーマが改正問題だったからね――改正と言っても英国憲法の改正ではなく我が同盟規約改正だが。しかし、すべてはうまく行った。改正論者は投票で敗け、それを潔く受け止めた。ともかく、次の総会まで1年の猶予があると思うと、まったくホッとする。

 月曜日のきのう、我々は(同盟の)ピクニックに出かけた。わりあい楽しかったよ。もっとも、あまり計画性もなくうろつき回るピクニックで、組織的な団体人とは言えない催しだったが。それに天候も素晴らしいとは言えなくて、午後にはちょっと曇って丘に雨もぱらついた。でも、ずぶぬれにはならずにすんだ。ボックスヒルというところはとても美しい。丘の上には有名なボックスウッドがあってね。お前がロンドンに戻ってきたら、二人で一緒に行かなくては。

 ピクニックはドーキングの町で終えたが、パブ「グランビー侯爵」には行かなかったよ。「ウィートシーフ」でお茶やビールを飲み、歌ったり朗読したりした。残念ながら、この町の常識では、われわれは救世軍の分派だと見られている。じっさい、ドーキングはとても静かな場所だし、社会主義者などという言葉はまだ聞いたことがないのだろう。まあ、思った通りのところだなと、メイと意見が一致したね。

 ところで、言うのを忘れていたが、12日の土曜日にストラトフォードでは演説しなかったが、ハイドパーク公園のマーブルアーチ角ではしゃべったよ。かなりドキドキした。なぜだか分からない。ストラトフォードでは警察の襲撃を予期していたのにまったくなんでもなかったのに。ハイドパークの聴衆は静かで、かなり良い聞き手だった。『コモンウィール』誌も4帖売れた。2回演説したよ。2回目は少しもドキドキしなかった。
 

 (アイルランド自治の)国会法案についてはね、ジェニー、我々は否決されると思っていた。もっともあんなに大差とは思わなかったが。いまや問題は、国がそれに対してどうするかだ。グラッドストーンはまた負けると思う。でも今回は彼は正しいから、負けるべきではないのだがね。昨日のグラッドストーンの宣言は、まともで率直だった。アイルランド自治問題が速やかに解決しなければ、あらゆる種類の問題が起きるだろうね。

 刺激的な2日間のあと、今日はホッとして、清々しい晴れの日を静かに家で過ごしている。もちろん、仕事はしっかり頑張っているがね。

 ああ、忘れていた。先週の金曜日はファビアン協会の総会に招かれて、「ウィッグと民主党と社会主義者」という講演をした。反響は良かった。場所はサウスプレースチャペルだったが、満員だったよ。
 

 さて、これでニュースは全部だと思う。司教の話には笑ったよ。母さんには同じ便で短い手紙を書く。1通もらっているからね。母さんが良くなっていると聞いてとても嬉しい。それに、ジェニー、お前の体調がいいこともね。

 
 じゃあ、さようなら、私の大事なジェニー。それから、いいかい、私の訪問を期待してはいけないよ。でも行くかもしれない。――ところで、行けば泊れるところはあるかい? さようなら、ジェニー。これは、お前へのキスだよ。
                        お前の
                                    WM

※     ※     ※

 
 [
訳者から]

 1886年後半も、モリスの東奔西走の活動は続く。運動が活発になるにつれて、取り締まりも厳しくなり、路上で演説しただけで高額の罰金あるいは懲役を命じられ、対応を迫られる。
 また、モリスは社会主義者同盟の機関誌を週刊で発行することにこぎつける。だが、貧しい労働者や亡命者を中心とした組織では、その維持は並大抵のことではない。なんとか財政的組織的に軌道に乗せようとするモリスは、言いにくいことも言わねばならない。グラスゴーの中心メンバーとのやりとりに、その苦労がうかがい知れる。

  ■1886年8月14日付 長女ジェニーへの手紙
                 ハマースミス・ケルムスコットハウスにて

私の大事なジェニー

 『コモンウィール』の印刷で格闘したけれど、郵便屋が来るまでまだ少し時間があるから、ちょうど短い手紙が書ける。私とメイは、きのう一日中裁判所にいた(注1)。哀れなさらし物だったが、同志メインウェアリングの演説が素晴らしかったことだけが救いだ。ほんとうに彼の振る舞いすべてを誇らしく思うよ。裁判官はゾッとするような男だ。まったく、判事ジェフリー(注2)のようだった。二人に対してあんなにも憎々しげに審理する様子をお前が見れば、少なくとも許し難い状況下の殺人犯ではないかと思ったことだろうよ。

 二人はそれぞれ20ポンドの罰金を払うか、さもなければ2か月の懲役となった。しかも、それぞれ一人ずつ身元保証人を立て、12カ月間おとなしくするという条件付きだ。つまり、もし身元保証人が見つけられないとか妨害で再逮捕されたりしたら、さらに12カ月刑務所入りとなる――これが、みな、道理の分かる人間ならまったく些細で犯罪とすら呼べないような事件に対してなのだよ。恥ずかしすぎる。彼らは労働者だから、こんな大金は自分たちで払えるはずがないし、私たちが金を工面したとしても、二人ともそれを受け入れるとも思えない。

 ディケンズ(注3)が生きてあの場にいて、あの判事のちょっとしたならず者ぶりを小説に描いてくれないのが残念だ。まさに、ならず者そのものだったからね。でも、きのういた若者たちにも言ったのだが、愚痴は言うべきではない。だって、こういう目に合うことこそ、社会主義者とならなければならない理由なのだから。


 ねえ、ジェニー、そんなに素敵なひとときをそこで過ごしていて良かった。お前が秋の野原や生け垣のなかで楽しんでいる様子を思い浮かべると、とても幸せな気持ちになる。ささやかでもいい散歩がたくさん出来るに違いない。まあ、そこは、全体としてはそう特色があるというわけではないが、細かいところではかなり綺麗なだし、建物にも良いものがあるからね。


 さあ、郵便回収の時間だ。ウォルターもやって来た。だから、お前やみんなにごきげんようと言って、手紙を終えることにするよ。

                       愛する父
                       WM

【注1】:路上演説を交通妨害と見なし逮捕される事件があいついだ。モリスは7月18日に召喚されたが、初犯ということで1シリングの罰金ですんだ。だが、ウィリアムズとメインウェアリングは裁判にかけられ、4日間続いた審理の末、この手紙の前日の13日に有罪となり、罰金あるいは懲役刑を宣告された。

【注2】:17世紀に300人に死刑、1000人に植民地への流刑を宣告し、その残虐さで悪名高い判事

【注3】:19世紀英国を代表する作家チャールズ・ディケンズには、司法制度の悪弊を庶民の立場から鋭く、しかもユーモラスに描いた小説が数多くある。たとえば債務者刑務所に20年余り閉じ込められる両親のもと、刑務所で生まれ育った娘を描いた『リトル・ドリット』など。

  ■1886年8月16日 同志ジョン・ブルース・グレイシャーへの手紙

親愛なるグレーシャー

 まず、その件については握手だ。もちろん、君がグラスゴーで党のために最善を尽くしていることはよく分かっている。でも、私は『コモンウィール』が途絶えるかもしれないと思うとぞっとするのだよ。こんなに資金を投じ努力を重ねて現在のように発行しているし、同盟の誇りでもあり有効な宣伝手段でもあるのだからね。それに、金銭問題を即座に解決しないために厄介なことになった団体をたくさん見ている。掛け勘定をそのままにしておくと支部のメンバー自身が意気消沈して、会議参加や活動に支障をきたすことになりがちだ。

 書記長のスパークリングが勘定の詳細を送るよ。でもそして、その細部で異論があるところがあれば、これ以上細かい検討は無しでに君の主張通りにスパークリングが処理するからね。このことは、君と会ったときにも言ったと思うが。

 ところで、『コモンウィール』は週刊になったから、収支計算が基本的に変わったわけで、その点では君の意見ももちろん余地のあることだ。8月7月末までの週刊『コモンウィール』をまとめて清算して、それからの分を定期的に支払うというのはどうだい? 定期的でありさえすれば、週極めでも月極めでもかまわない(後者で一致したと思うが)。なにせ、何でも即金で払わないといけないのだから、そうでないと続けられないのは確かなことなのだよ。それに、足らない分を私の財布から補てんするのは何度でも喜んでするけれども、同盟に所属している者として君もみんなも、他の政治的運動が誰かの財布で賄われてきたようなやり方で私の財布にいつまでも頼っていてはいけないという必然性は分かるだろう。それと、君はこちらでどんなに差し迫っているか、どんなに金に困っているかをあまり知らないんだと思う。もちろん、われわれのためにすべて投げ出してくれとか、役職上の納金は別にして君に購読代を負担してもらおうなどと思ってはいない。君もそちらで支部の面倒を見ていかないといけないのだから。でも、『コモンウィール』はわれわれ全部の共有の(コモン)機関誌なのだよ。

 君が詩人の僕をからかいたかったら、遠慮なくからかいたまえ! ただ、覚えていてほしいのは、その(駄目な?)詩人も、ほかの人同様に、伝えることは伝えなければいけないのだよ(学校でつねられたら代わりに誰かをつねるようなものかな)。君のところがうまくいっていて、本当にうれしいよ。会ったときにも、とても健康そうだと思った。


 さて、仲直りの印に『コモンウィール』に何か原稿を送ってくれないか。記事が足らないのでは…と、とても不安になることがよくあるのだ。耳にするだろうが、こちらではまた警察と厄介なことになっている。私自身としては、余計なことでしかない。結局、そういうことは本題ではないからね。われわれにとって唯一重要なのは経済的・社会的問題で、そういう本題から人々の目をそらせるようなことは何でも忌々しいよ。とはいえ、この小競り合いは闘いぬかざるを得ない、それも上手にね。


 われわれすべてから友愛をこめて
                       君の兄弟である
                       ウィリアム・モリス

※     ※     ※

 
 [
訳者から]

  多忙の中でも、モリスは古い建築物を守る運動も手を抜かず、「趣味」としての文筆・翻訳活動も行ない、古くからの友人たちとの交流も続けている。
  その一人、チャールズ・フォークナーへの手紙には、家族関係についての考察が展開されている。19世紀のイギリス上流社会では、結婚は家の繁栄のために使われるのがほとんど当たり前だった。恋愛感情と人間的結びつきを前提にするモリスにとっては、金銭や家名に縛られた結婚は耐え難いものであったに違いない。
 また、愛情が失せ関係が破たんした場合についての考えはユニークで、互いに特別の人では無くなってからも父と母であり続けたモリスと妻ジェ―ンの独特な関係を推察する鍵の一つともいえる。

  ■1886年9月8日付 ウィリアム・ベル・スコット(注)への手紙

親愛なるスコット

 もう今頃は君の調子がよくなっていることを祈る。また北へ向かう時は、ぜひ訪問したい。だが、純粋に仕事でエディンバラへ駆け足で旅行する以外、いったいいつ北へ行けるか分からないのだ。

 書記長に購読の件を確かめるよ。間違っている可能性は大きい。以前も間違ったことがあるから。どちらにしても、全ての号が届くように手配する。

 そうだよ、いまでも昔のようにエドワード・バーンジョーンズに会っているよ。いや、ほぼ会っているというべきか。というのも、もちろんあの「職業的」アジテーションと呼ばれる破滅的な活動をやりだしてからというもの、あちこちを飛び歩いているからね。職業的と言っても、無報酬だ。まあ、全体として評判が下がるという報酬はあるがね。でも、それは大したことではないし、重要な運動に携わっているといういい面での喜びがあるから、悪い面の方が勝っているわけではない。事態はどんどん一大変革へと向かっているとわれわれには思えるね。ただ、間違いなく時間はかかる。それに、もっと大きな運動へと進化させるのに足手まといになっている小さな心配事すべてに立ち向かうには、ものすごい忍耐力を発揮する必要があるがね。

 聞いたかもしれないが、『オデュッセイア』の翻訳も頑張っているのだよ。とても面白いし、他の仕事の気分転換になって抜群だよ。いま、9冊目を訳している最中だ。

 こんな走り書きで申し訳ない。ケルムスコット荘で4日間の休暇を過ごすために色々仕上げなければならないので、今日はとりわけ忙しい。4日間だが、それでも長い方なのだよ。

                    いつまでも君の
                    ウィリアム・モリス

【注】:1811〜1890、ラファエル前派の詩人・画家。ときどきモリス商会でも仕事をした

  ■1886年10月14日 オズワルド・バーチャル牧師への手紙

拝啓

 イングルシャム教会についてのお手紙、大変ありがとうございます。先週火曜日の午後、SPAB(古代建築物保存協会)幹部の専門家メンバーと共に教会を訪れまして、どういう修復が必要かについて短いリポートを書き上げました。あなたがこの件を手がけられるなら、もちろん、どうぞこれを自由にお使いください。よろしければ、イングルシャム教会のスプーナー牧師にすぐに写しを送ります。訪問した際にはスプーナーさんにもお会いして、長時間お話ししました。大体において、私たちと同じような考えだとお見受けしました。

 火曜日にお伺いできなかったのは残念でしたが、着くのが遅くなり陽が落ちるのも早いので、ともかく舟を閘門において出来るだけ急いでイングルシャムに行かなければならなかったのです。私たちのリポートの写しは、ただちに送ります。

 教会修復のために作られる基金なら喜んで寄付いたします。ただ、SPABが明らかにした線に沿っての修復という条件は付きます。わが協会がこの件に参加するのに一番いいタイミングは、基金が発足したのちでしょう。
 この件で、私の書いたものがお役にたつようでしたら、どれでも自由にお使いください。またケルムスコット(コッツウォルズ)に行くときにでもお会いできますように。

                          敬具
                          ウィリアム・モリス

  ■1886年10月16日 友人チャールズ・ジェームズ・フォークナーへの手紙

親愛なるチャーリー

 手紙ありがとう。悩んでいるときは、友だちに「鬱憤を晴らす」のは当然だ。家族問題というテーマについては言うべきことが多いので、全面展開することは無理だ。一部を書くが、もちろんこれは私の個人的意見で、必ずしも公式原則ではない。でも、急いで少し書いてみよう。


 性交は、双方の自然な欲求と思いやりの結果として行なわれたのでないかぎり、動物以下だ。だから、そういうものとして行なわれれば、行為の奇怪さにもかかわらず、そこにはある種の神聖ささえある。まさに原始の人々が男根崇拝という形であらわしたようにね。現代の結婚については、だが、人類は、一方においては動物そのものであり他方においては不可思議で神秘的なその行為を、単にそういうものとしてとどめ満足することが出来なかった。そして、食べたり飲んだりの奇妙な行為と同じように、様々に飾り始めた。人間はいつもそういうことをするものだと思う。だが、飾り立てずにそのままにしても、ショックを受ける必要はない。そのままでもそこにはふさわしい動物性と人間的思いやりがあるのだから。その方が、現在のような金銭ずくの売春システム――これが法に基づくわが結婚制度の意味するものだ――より、ずっとましだ。もちろん、ほかのことでもそうだが、現実社会では、既成の権威に抗して情熱と愛情による真の結びつきが形づくられて、われわれが悪臭を放って朽ちていくのを防いでくれている。

 明らかに、現在の結婚システムは賃金制度と同じ手段――つまり政治と軍隊――によって維持されているだけなのだ。妻が市民として生計を立てられるようになれば、また子供たちが何人も奪うことのできない生活権を持つ市民だとなれば、人々が合法的売春を強制されることもないし、不埒な買収行為をそそられることもないだろう。(それはひとえによくある市場での搾取の一形態だから、それ以外のことは手にすることが出来ない)。夫も妻も子供も、みな解放されるだろう。この点までは、すべての社会主義者が一致すると思う。

 私としてはさらに、家族が経済的な自由を得ることによって、鎖を金色に飾ってきたまがい物の情緒は一掃されてしまうと思う。それでも、そのあとにはまだ、人間をただの動物的状態から進化させたほんものの感情が豊かに残り、それゆえ、慎みがなくなるのを防ぐだろう。ただ、その結合がどういう世間的形態や表現を取るかについては、私は予測出来ない。


 したがって、私の見解を要約すると、こうなる。

1. カップルは自由であること
2. 自由であるから、不幸にも互いのあいだに嫌悪の感情が生じた場合は、そんな気持ちなど生じていないかのような振りをする必要はない
3. だが、ほとんどの場合、性的欲望と共に友情が存在してほしいものだし、欲望が消えたのちもその友情は残り、カップルはなおも友人であってほしい。もちろん、常に自由な人間としてということだが。つまり、自然な人間関係を人工的に支えるのには反対だということだ。もっとも、なんらかの儀式や装飾をおこなうことは自然で人間的なことで、当然だとも思う。


 これが私結婚問題についての見解で、理にかなっているとおもう。世間に公表して正当性を主張する用意はある。(以下、中略)


 結局、長めの手紙を書いてしまった。でも、そうすることこそが友人への態度だと思ったからね。この問題を政策的に前面に出すかどうかは慎重さを要するが、いずれいつかは取り上げなければならないと思う。忘れてはならないのは、現在の邪悪な状態は、すべての非道がそうだが、われわれよりも労働者階級にずっと重くのしかかっているということだ。彼らは、まるで市場に売りに出される鶏のように狭苦しいところにいっしょに閉じ込められているのだから。

 チャールズ、走り書きですまない。とても急いでいるものだからね。

                 親愛をこめて
                 ウィリアム・モリス

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