(かね)が支配する世の中での芸術その1
Art under Plutocracy

by William Morris in 1883
翻訳:城下真知子(小見出しは翻訳者がつけました。読みやすくするために改行を多くしています)
(注:この翻訳文章は『素朴で平等な社会のために』で、バージョンアップされています)

 オックスフォード大学で開かれたラッセルクラブの集まりでの講演。ここでモリスが社会主義を宣言したので、大問題となった。

 ラッセルクラブは、オックスフォード大学のリベラル派が作った政治的会合である。クラブは、卒業生であり芸術家として世に知られたモリスを11月14日の講演に招いた。モリスの恩師ジョン・ラスキンは、当日、議長を務めていた。

 その日、高名な大学教授などが列席する前で、モリスは社会主義者であることを宣言し民主連盟への加入を呼びかけたのだ。当時、「社会主義」などという考えは非常に危険な野蛮思想で「下流階級」が侵されるペストのようなものとみなされていた。穏健な芸術家の芸術についての講演と思いこんでいた会長ベンジャミン・ジョウェットはじめ主催者たちは、仰天して怒り狂ったと言われる。

 この主催者側の怒りを予測しながらも、モリスは敢えて自分の立場を宣言したのだ。

  ■芸術という言葉の意味を暮らしのすべての要素に広げてほしい
 ご存知のように、私がここでお話ししたいのは、どこかの流派や芸術家の批判ではないし特定のスタイル実践のお願いでもない。また、どんなに一般的なものであれ芸術実践にあたってのアドバイスを与えるためでもない。そうでなく、私は、芸術――すべての人の日々の暮らしの慰めであり手助けとなるべき芸術――を創り上げる道を阻んでいるのは何かについて、皆さんの意見を伺いたいのだ。

 芸術の創造を阻むものなどない、あったとしてもわずかで容易に払いのけられる、と考える方もここにはいられるだろう。あるいはこう言われるかもしれない――少なくとも洗練された階級(中流階級)のあいだでは芸術の歴史についていろんな角度からの知識が増え、それを十分理解する鑑賞力もあるではないか。才能のある多くの人や幾人かの天才が芸術を実践し、それなりの成果を生み出している。変化などほとんど望めないと思っていた分野でさえ、この五十年のあいだに芸術の新生・復興ともいえる事態が起こっているではないか――と。

 たしかに、その限りではみな本当だ。芸術がどれだけ広範囲に渡るものかが分からない人にとっては、現在の状況は満足至極だろう。芸術が社会全体の状況とどんなに密接に結びついているのか、とりわけ、肉体労働で生計を立てている人々、つまりわれわれが労働者階級と呼んでいる人々の暮らしといかに固く結びついているのかが分からない人にとっては、現状は満足なことだろう。

 芸術の進歩を喜ぶ風潮がたとえ近年目立っていても、その陰で多くの思慮深い人々が芸術の将来に絶望している――私はここに注目せざるを得ない。芸術の現状を見れば、絶望するのも無理もない。ただ、そういう絶望感に落ち込むのは、そうなるに至った原因を考慮せず、そのなかに潜む変革への可能性を考慮していないからだと思う。

 だから、やたらと藪をつつくような言い方をやめて、芸術はじっさいどういう状況にあるのかを考えてみよう。

 その場合、最初にお願いしたいのは、芸術という言葉の意味を意識的な芸術作品、つまり絵画・彫刻や建築だけではなく、すべての日常生活用品の色や形にまで広げてもらいたいということだ。それだけではなく、耕作地や牧草地の配置や、都市計画、あらゆる種類の道路管理にまで、一言で言えばすべての暮らしの外的要素にまで広げてほしい。

 というのも、皆さんにも賛同してもらいたいのだが、私たちが暮らす環境を構成しているものはすべて、その一つ一つが美しいか醜いかのどちらかでしかない。人間を高めるかおとしめるか、あるいは作るのが苦痛なお荷物かそれとも製作者にとって喜びであり慰めであるか、そのどちらかでしかない。

 そう考えて見渡すと、こんにち私たちを取り巻く環境はいったいどうなっているのか。私たちの後に続く人々にこの地球に何をしたと聞かれたら、いったいどう説明できるのだろう。何千年ものあいだの争いや無頓着や利己主義にもかかわらず、先祖たちはそれでも美しいままの地球を手渡してくれたというのに。

                  ※      ※      ※

 これは、簡単に答えられる問題ではまったくない。それに、皆さんはこれをたんなる演説のための美辞麗句だとは思わないはずだ。オックスフォードで学んだ私たちが、愛さずにはいられない眺めや思い出がいっぱいのこの地で問うからには、これはとても厳粛な問題なのだ。先輩たちが希望を持って築いた建物やこんなにも愛情を持って作り上げた郷土のただなかで、地上の美などほんの一瞬のものにすぎないと言える人がいるとしたら、なんと心狭く未熟な精神の持ち主だろう。

 とはいえ、後輩の私たちは、では地上の美、つまり芸術と呼ばれることがらを果たしてどう扱ってきたのか。

  ■絵画・彫刻は装飾芸術から切り離され
   製作者の身分も上下に分けられた
 皆さんには珍しくもないだろうが、芸術は大きく言って二つに分けられるということからまず始めよう。便宜的な言い方だが、一方を知性に訴える芸術、他方を装飾芸術と呼ぶこともある。前者は精神的要求を満たすためにのみあり、作り出された作品はもっぱら私たちの精神を豊かにするだけで、物質的要求についてはまったく無関係だ。後者もその大部分を占める芸術としての要素はもちろん心に訴えるが、後者が元々意図しているのは身体的用途に応えることで、精神的アピールはその一部でしかない。

 さらにつけ加えれば、これまで純粋な意味での前者が生まれなかった国家や時代はあるが、後者の装飾芸術(あるいは、少なくともそのつもりの芸術)を持たなかった時代や国家はかつて存在しない。そして、芸術が健やかに育つ状況下では両者はいつも固く結びついていた。その結びつきは緊密で、芸術がもっとも花開いた時代には、それを「上下」にへだてる厳密な境界線などは存在しなかった。

 ことわざにもあるように、もっとも高尚な知的芸術は視覚に訴えるものであり、感情をかきたて知性を鍛える。誰の胸にも響き、知性のあらゆる側面に訴えかける。他方、もっとも質素な装飾芸術の場合は、知的人間ならその意味を受けとめ感情を共有することができる。二つの芸術はほとんど判別の余地もないほどの濃淡で溶けあう。つまり、最高の芸術家は労働する職人でもあり、もっとも素朴な労働者も芸術家なのだ。

 だが、現在はこうなっていない。ここ二、三世紀前の文明社会からそうでなくなった。知的芸術は、装飾芸術からバッサリと切り離されてしまったのだ。それぞれの名のもとに作られる作品が分けられただけでなく、製作者たちの社会的地位までもが切り離されたのだ。知的芸術を追求する人々は、みな、プロの芸術家か天職ゆえのジェントルマンであるが、装飾芸術を追求する者は、週給を稼ぐ労働者であり、ジェントルマン(注1)ではない。
 
 注1:日本語で現在「ジェントルマン」あるいは「紳士」と言う場合は、「礼儀正しく優しい男性」といった意味合いで使われ、誰でも性格が良ければジェントルマンと呼ばれることが可能だ。
 だが、18、19世紀のイギリスでgentlemanと言う場合は、その人の階級的地位と無関係ではなく、社会的地位が高く家柄の「良い」男性に対してしか使わなかった。
 もちろん、現在はイギリスでも、礼儀正しく洗練された男性ならそう呼ばれるし、そうでなくても男性一般をgentlemanと呼びかけるようになったが、もともとの言葉は階級の上下という概念から切り離せなかったのだ。
 身分が高いというだけで身分の低い者を見下す考えを嫌ったモリスは、その意味でこの言葉を否定的な意味で使っている。
 それがもっともよく現れている例は、モリスの小説「ジョン・ボールの夢」の冒頭に飾られている口絵の「アダムが耕し、イヴが紡いでいたときに、ジェントルマンなどいただろうか」という文だろう。
 神が人間を創造したとき――人間すべてが働かなければ生きていけなかった原始時代――には、支配階級などはいなかったということを表現している。

  ■協働が無くなり個人主義をあがめる風潮ゆえに
   孤立した天才も民衆も傷つく
 さて、さっきも述べたように、現在、才能ある多数の者と幾人かの天才が知的芸術(主に絵画と彫刻)に取り組み作品を産み出している。この場に限らず、彼らの作品を批判するのは私の本分ではないが、今日の主題からいって、次のことには触れざるを得ない。知的芸術を遂行している者は二つに分類することができるが、一つ目のグループは、その技能のレベルゆえにどんな時代でも高い位置を占められる人々だ。

 二つ目のグループは、たまたまそういう家に生まれたか、あるいは産業家であったり事業を持っていたりして、ジェントルマン芸術家としての地位を得た人たちで、その地位は芸術的才能とまったく釣り合っていない。こうした人々が作り出す作品が市場では盛んに売られているようだが、世の中にとってほとんど価値があるとは思えないし、彼らの地位は威厳もなければ健全でもない。

 そうはいっても、ほとんどの人は個人的に非難されるべきではないだろう。偉大でないとはいえ、芸術の才能はあることはあったわけだし、他の職業では成功などできなかったのだろうから。じっさいのところ、彼らも現在の体制に甘やかされ駄目にされた腕の立つ装飾職人だったといえる。今の体制が、他の人々(自分より優れた能力の持ち主であれ劣る人々であれ)と協働して民衆の芸術を生産するという機会を彼らから奪い去り、個人的成功という野望を追求させたのだ。

                  ※      ※      ※
 
 第一グループに属する芸術家は、その位置にふさわしい仕事をして世の中を豊かにしたわけだが、そういう人は本当に数少ない。こういう人々は、練達の技能を会得するため信じられないほど努力し不安や苦しさを乗り越え、卓越した精神と強い意志の力を発揮して価値あるものを必然的に生み出した。

 しかし、そういう人たちもまた、協働作業を禁じ個人主義をあがめる世の仕組みのために傷ついている。そもそも、伝統が存在していれば、そんなに努力しなくてもただちにその成果を共にすることができるにもかかわらず、彼らは時代を重ねた奇跡的ともいえるほどの素晴らしい技術の蓄積――つまり伝統――から切断されている。こんにちの芸術家が持っている過去についての知識や共感は、大変な個人的努力によって獲得したものなのだ。芸術の実践を助けるはずの伝統がもはや消えてしまっているために、すべて一から個人的に競い合って学ばざるを得ないという重荷を彼らは背負っている。

 よりひどいことには、伝統の欠落ゆえに、芸術家は自分の芸術を理解し評価してくれる聴衆にもこと欠くのだ。芸術家自身と、機会もなく腕も観察力においても才能が乏しくて芸術家になれなかった人たち何人かを除けば、世間には芸術を理解している者はなく、ほとんど愛着心もない。せいぜい残っているのは生半可なひいき目だけで、かつて芸術家と人々を結んでいた伝統は幻影のようになっている。

 だから芸術家は、いわば人々が理解できない言葉で自分を表現するしかない。これは彼らの責任ではない。もし世間の要望に沿うよう妥協して、芸術に無知な人々の曖昧模糊とした偏見を何としてでも満足させようと努力するなら、(そうすべきだと考える向きもあるようだが)、それは天賦の才能を投げ捨てるものだ。芸術に仕えるという栄光ある義務を捨て、芸術の大義を裏切るものだ。

 現代の世の中に助けられることもなく、過去に刺激されているのに過去を汚し、しかも、ある意味で過去に邪魔されながら、それぞれが個人的な仕事をするしかない。神聖で神秘的力を備えた者として孤立し、何が起ころうとも微力でも芸術を守るために最善を尽くすしかない。孤立ゆえに、彼らの人生も作品も損なわれていることは疑いないだろう。

 だが、民衆の側の損失はどうだ? いったいどうすればそれを量れるというのか。自分たちの周りで偉人が暮らし仕事をしているのに、その仕事の存在を知らず、見たとしてもそれがどういう意義を持つのかも分からないのだ。                 (その2に続く)


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