小芸術(装飾芸術) その1

by William Morris in 1877
翻訳:城下真知子(小見出しは翻訳者がつけました) 2017/2/15改訂

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  ■小芸術(装飾芸術)と大芸術

 さて、これからは、小芸術(一般に装飾芸術と呼ばれている)の歴史的検討という課題でお話しすることになるわけだが、正直に言うと、私にとっては、このまますぐに、偉大な小芸術の歴史を語るほうが楽しい。

 だが、この後の第三講演で、こんにちの装飾芸術が抱える諸問題に触れるつもりなので、ここではまず、小芸術の性質と範囲、現在の状況、将来どうなるかについて話すことから始めよう。でないと私の立場があいまいになり、皆さんを混乱させ、後でくどくど説明しなければならなくなるだろう。

 この話のなかで、おそらく皆さんがまったく同意できないような事柄も話すことになると思う。 だから、初めに知っておいていただきたいことがある。歴史を考えるとき、たとえ私がそれを非難しようと褒めようと、私は過去を嘆いているのでもなければ、現在を忌み嫌っているのでもなく、未来に絶望しているわけでもない。

 私たちの周りの変化や動きはすべて、世界が生きているという証しだと私は信じている。それは予測もできないさまざまな道を経て、人類をより良い道へと導くに違いないのだ。


 さて、小芸術の範囲と性質ということについて、これから詳しく述べていくが、いわゆる偉大な芸術と呼ばれる建築についてはあまり触れないつもりだし、彫刻や絵画についてはなおさら触れない。

 もちろん、私はそれら大芸術と、いわゆる装飾芸術と呼ばれる小芸術を、まったく切り離して考えることはできない。大芸術と小芸術の分離は、ごく最近、生活がたいへん複雑になったなかで初めて起こったことだ。両者がこんなふうにかけ離れてしまったのは、芸術全体にとってマイナスだ。

 この分裂のために、小芸術は取るに足らない機械的なものとなり、知性にも欠け、ごまかしや流行に抵抗する力を失ってしまった。

 他方、建築・彫刻・絵画などの大芸術のほうも悲惨だ。しばらくは、天才が偉大な精神と驚異的な腕前で実践していくだろう。でも、小芸術に支えられることもなく互いに助け合うこともないままでは、いずれは、大芸術も、民衆の芸術としての尊厳を失ってしまうにちがいない。そして、少数の金持ちや暇人がもてあそぶ巧妙なおもちゃ、あるいは、無意味な虚栄心で見せびらかす退屈な付属品になり下がってしまうだろう。

 ともあれ、この講演では狭い意味での建築、彫刻、絵画については触れない。繰り返すが、こういう大芸術、特殊に知識人のものだとされている芸術は、本当に残念なことに、現在では、厳密な意味での装飾から切り離されてしまっているからだ。

 この講演で課題とするのは素晴らしい装飾芸術の分野である。これは、多かれ少なかれ、いつの時代も、日常生活上の見慣れた道具を美しくするために取り組まれてきた。対象とする範囲は広く、重要な産業である。世界の歴史の大きな要素を占めており、歴史の研究には最も役立つ分野でもある。

 ■装飾芸術の二つの役割

 装飾芸術は本当に大事な生産活動だ。家を建てる技術から、塗装、建具指物、大工、鍛冶屋の仕事、陶芸、ガラス工芸、織物、その他多くの技術を含んでいる。

 社会全体にとってももちろん大事だが、われわれ工芸職人にとってはとりわけ大切な芸術だ。使うために作る物はほとんど、なんらかの装飾の手を加えて装飾した上でないと完成とはみなされないのだから。

 もっとも、ほとんどの場合、私たちはこの装飾という手順に慣れきっており、あたかも、自然にそうなったかのように感じている。薪に使う枯れ枝に自然についた苔の模様、その程度にしか装飾を考えていない。実にひどい話しではないか! 装飾や、装飾のつもりでおこなった試みは現に存在しており、そこには用途も意味もあったし、あるべきなのだから。

 そもそも、これはすべての物事の原点だ。人の手で作られた物にはすべて形があり、それは美しいか醜いかのどちらかだ。自然の摂理にかない、自然を生かしているなら美しく、自然に沿わず逆らっているものは醜い。どちらでもないということはありえない。

 人間というものは、勤勉なときもあれば、ものぐさなときもあり、熱意にあふれているときも落ち込んでいるときもある。そして、常に目にしている物の多種多様な形に対して、鈍感になりがちだ。だから、装飾の主な用途、自然と連携した主な用途の一つは、その鈍った感覚を研ぎ澄ますことにある。だからこそ、あのように目を見張る細やかなパターンが織られ、奇妙な形が考え出され、ずっと人間を楽しませてきた。

 それらの形や細やかさは、必ずしも自然を直接まねたものではない。だが、職人の手は自然が織り成す過程に導かれて動く。その手は、織物やカップやナイフが自然に見えるようになるまで、いや、緑の草原や川岸や山から採れた火打石と同じくらい愛(うるわ)しくなるまで、止まらない。

 装飾芸術には二つの働きがある。一つは、暮らしのために使わざるをえない物を、使うのが楽しくなる物にすることだ。また、もう一つの役割は、作らざるを得ない物を楽しく作れるようにすることだ

 さあ、このテーマがとても重要に見えてきたのではないだろうか? この芸術が存在しなければ、労働のあいまの休息は、虚ろでつまらなく、私たちの労働も、ただの忍耐、心身をすりへらす活動になる。


 ■労働を楽しく彩るはずの装飾芸術

 装飾活動が労働を楽しくするという第二の側面については、いくら強調しても強調し過ぎることはない。真実を何度も繰り返すことに意味があるかどうかはわからない。そうだとしても、現代の偉人が語ったことを思い返してみると、どうか、さらに言及することを許してもらいたい。

 その偉人とは、友人のジョン・ラスキン教授だ。彼の『ヴェネツィアの石』第二巻の「ゴシックの本質と労働者の役割について」という章を読めば、このテーマについて、最も本質的で的を射た表現に直に触れることができる。私の主張は、彼の言葉のほんの繰り返しでしかない。だが、真実の反復にもなんらかの意義があると思う。忘れてしまわないためだ。だから、さらに語っておきたいのだ。

 人々が仕事を罵るのをよく耳にする。そこには、深刻で嘆かわしい不快感がこめられている。だが、確かに、職人にとって本当に嘆かわしく呪わしいのは、それが馬鹿げた労働であることだ。そして、労働自体にも、労働を取り巻く環境においても、不公平が存在することだ。

 だからといって、ここにいる皆さんは、自分の手を動かして働かずに座っているだけの生活を、良い暮らしだとか面白い暮らしだとは思ったりしないだろう。たわけ者は、それを「紳士のような暮らし」と呼ぶわけだが


 とはいえ、たしかに、退屈な仕事というものは存在する。人々にそういう仕事をさせるのは辛いし、見るのも辛い。そんなことをさせるぐらいなら、私は、倍の時間がかかっても自分の手でするほうがよい。

 だからこそ、私たちが語ってきた装飾芸術によって労働を美しくして、世に広め、作る人にも使う人にも、知的で分かりやすいものにしようではないか。一言で言えば、労働を民衆の芸術にしよう。退屈でつまらない労働、心身をすりへらす奴隷労働はおしまいにしよう。そうなれば、もう誰も仕事を罵ったりしなくなり、言い訳を使って労働の至福を避けようとしなくなる。

 この実現ほど、世界の進歩に貢献できることは他にない。私がこの世で実現したいことは、これ以外にないと断言する。そして、間違いなく、政治的社会的変革――これは、誰もがなんらかの形で望んでいることだ――と、これほど深く関係していることはない。

 ■小芸術をとおして見える歴史

 だが、この意見に対して、小芸術・装飾芸術は贅沢や圧制や迷信に仕えてきたではないかという反論もあるかもしれない。ある意味で、それは事実だ。ほかの多くの素晴らしいことと同様に、確かに、装飾芸術は利用されてきた。

 だが同時に、国によっては、最も自由で活発な時代には芸術が咲き乱れたことも事実だ。そして、また、自由への望みがまったくないような、抑圧された民衆のあいだですら、装飾芸術が花開いたことも認めなければならない。そういう民衆のあいだでも、少なくとも芸術は自由だった――そう考えても間違いではないと思う。もし芸術が自由でなく、迷信や贅沢に縛られていたなら、抑圧の下ではすぐに腐り始めてしまったはずだ。

 さらに、もう一つ忘れてならないことがある。人はよく、法王や王様や皇帝がこれこれの建物を建てたと言う。でも、それはただの言い方にすぎない。歴史の書物で、誰がウェストミンスター寺院を建てたか、誰がコンスタンティノープルの聖ソフィアを建てたかと見ると、それはヘンリー3世だとか、ユスティニアヌス皇帝だとか書いてある。だが、果たしてそうなのか。むしろ、皆さんや私のような人間、後世に仕事を残すが、名は残さない職人たちではないか。


 さて、この芸術のおかげで、人々は日常生活の物事に興味を示し、注意を払う。そして、また、重要なことだが、歴史のあらゆる段階に注意を払う。先にも述べたように、小芸術は、歴史において重要な役割を果たしているのだ。

 いかなる国も、いかなる社会も、どんなに未開でも、まったく装飾芸術なしで済ますことはできなかった。種族自体についての情報はほとんどないのに、彼らがどういう形を美しいと考えていたかが分かっている場合がよくあるではないか。

 歴史と装飾の結びつきはそれほど強いのだ。だから、現在、装飾を実践しようと思えば、いくら振り払おうとしても、過去の影響をまったく拭い去ってしまうことはできない。布地のパターンや日常の容器や家具を、腰を据えてデザインしようとすれば、たとえどんな創造的な人でも、数百年前に使われていた形を前提にして、それを進化させるか退化させるかのどちらかだ。そう言っても言い過ぎではないと思う。

 いまはもう習慣的な手さばき程度になっているとしても、たいていの場合、そういう昔の形には独特な意味があった。いまではほとんどつながりが失せ、あるいはまったく忘れられているかもしれないが、かつては、おそらく神秘的な崇拝や信心のシンボルだったのだ。

 こういう楽しい研究に励む人々は、まるで窓からのぞくように、過去の暮らし、名も知らぬ国々の思想の(みなもと)を見ることができる。

 恐るべき古代東洋の帝国。ギリシャの自由な活力と栄華。重鎮ローマの強固な支配。世界に広がり、その善も悪も決して忘れられず、いまもなお常に感じられるほどだが、その帝国も儚(はかな)く移ろい崩壊した。

 そして東洋と西洋、南部と北部の衝突。豊かで実り多いローマの娘・ビザンチン。イスラム世界の勃興・分解と衰退。彷徨(さまよ)うスカンディナビア。十字軍。現代欧州国家の基礎の成立。死にゆく旧システムと自由思想との争闘……

 これらすべての出来事、その意義は、民衆の芸術の歴史のなかに織り込まれてきた。歴史的な生産分野である装飾を真摯に学ぶ者は、これらすべてに精通していなければならない。

 歴史は非常に真剣な研究の対象となり、いわば、私たちに新たな感覚を与える時代、実際にどんなことが起こったのかを皆が知りたがり、もはや、国王や悪漢たちの戦闘や陰謀についての、つまらぬ記録でごまかしてはいられない時代。そういう時代に、これらすべてを、そしてその知識の意義を考えあわせてみると、装飾芸術が過去の歴史と織り成した関係は、現代生活で装飾芸術が果たす役割と同じように重要なのだ。これらのことを、どう言い表せはいいのだろう。これらの過去の記憶こそ、まさに現在の日々の生活の一部を占めるものなのだ。


 話を進めてこんにちの状況を検討するまえに、要点を繰り返しておこう。

 装飾芸術は、美を見い出した喜びを表現するために人間が編み出した偉大な体系の一部である。あらゆる人々があらゆる時代で、これを用いてきた。小芸術は自由な国民の楽しさの表現であり、抑圧された国民の慰めだった。宗教はこれを利用し、高め、また悪用し、貶(おとし)めてきた。小芸術は歴史の全過程と結びつき、われわれに歴史を教えてくれる。

 そして何よりも小芸術は、命を注ぎ込んで労働した工芸職人にとっても、また一日の労働のあいまに、その工芸に目を留めて慰めを得る人々にとっても、人間労働を美味しくする甘露だ。私たちの労働を幸せなものにし、私たちの休息を実りあるものにする。


 でも、ひょっとして、私の言ってきたことすべてが、皆さんには、大口を叩いた芸術の賞賛であるかのように響くかもしれない。実は、こういう風に語ってきたのは、理由があるからなのだ。


 それは、次のような問いを投げかけたいからなのだ――これらすべての良き果実を、君たちはわが手につかむのか? それとも捨て去ってしまうつもりなのか?

 思いがけない質問だっただろうか? でも、皆さんのほとんどは、私と同じように、民衆の芸術、民衆のためであるべき芸術を実践するために、日々奮闘しているはずではないか。

 ■分業で引き裂かれた小芸術
 なぜそんな質問をしたかを説明するために、これまで言ってきたことを少し繰り返そうう。

 かつて、工芸の神秘性や驚異が、広く知られていた時代があった。人間が作ったものすべてに、想像力と空想力が溶けあっていた時代があった。そういう時代には、すべての工芸職人は、現在の私たちから言えば芸術家だった。

 だが、人類の思想はしだいに複雑になり、表現が難しくなっていった。芸術はしだいに扱いにくいものになり、その労働は細分化し、実践する人も、偉大な人、そんなに立派ではない人、取るにたらない人に分かれてしまった。

 そして、手を使って織機の()を動かしたり槌を振るったりしているときは、心身に平安を与えていた芸術が、そのころから、一部の人々にとっては、とても重苦しい労働になった。彼らの労働生活は、希望と恐れ、喜びと悩みが織り成す、悲劇の連続になってしまった。

 これが芸術の発展だったのだ。すべての発展がそうであるように、しばらくのあいだは見事で実りも多い。でも、実り豊かなものすべてがそうなるように、しだいに腐っていく。そして、実りから腐敗に進むあらゆるものと同じように、そこから何か新しいものが生まれる。

 朽ち果てたのは、芸術が大芸術と小芸術に引き裂かれてしまったからだ。一方には軽蔑が、他方には無頓着が生まれた。ともに、これまで説明してきた装飾芸術のあの哲学(人間労働をおいしくする甘露)についての、無知から生れた。

 芸術家は工芸職人から抜け出していき、向上の望みも無いまま職人を置き去りにする。そして芸術家自身も、聡明で勤勉な工芸職人たちの共感に満ちた協力を失うことになる。双方ともに患うのだ。芸術家も職人と同じように苦しむ。

 芸術は、兵士の一隊とともに砦の前に進み出た隊長のようなものだ。隊長は、希望とエネルギーに満ち溢れて突撃するが、部下の兵士がついてきているかどうかを確かめもしない。また兵士たちは、なんのためにそこに連れ出され命を賭けるのかわからず、尻込みする。隊長は無駄死にし、兵士たちは、惨めさと残忍さに満ちた砦のなかで、陰気な捕虜となる。


 ここではっきり言っておかなければならないが、あまたある芸術のなかで、われわれの装飾芸術が過去と比べてそんなに劣っているわけでは決してない。しかし、無秩序と混乱の状態にあり、一大変化が必要なことは確かだ。


 だからこそ、もう一度あの問いを投げかけよう。君たちは、芸術が育むべき良き果実を手にするつもりなのか、それとも捨て去ってしまうのか? 必ずやって来るはずの一大変化は、プラスとなるのか、マイナスとなるのか?

 世界が絶え間なく継続することを信じている私たちは、その変化がプラスをもたらすことをこそ願い、その実現のために奮闘すべきではないか。
                    (その2に続く)

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