(かね)が支配する世の中での芸術その3
Art under Plutocracy

by William Morris in 1883
翻訳:城下真知子(小見出しは翻訳者がつけました。読みやすくするために改行を多くしています)
(注:この翻訳文章は『素朴で平等な社会のために』で、バージョンアップされています)

  ■幸せな労働は変化に富み、創造の喜びがあり、人に役立つ実感がある
 まともな人間なら誰でも持っている健やかな暮らしへの深い関心、これが基礎にあると、どんな手工芸品を作るときにも喜びが満ちてくるものだ。その喜びには主に三つの要素がある。多様であること、創造への期待感、そして、役立つことの自覚から生まれる自尊心である。もちろん、身体的能力を巧みに使うことからくる不思議な肉体的喜びも付け加えておかなければならない。

 これらを証明するのに、そんなに多くの言葉を費やす必要ないと思う。こうした要素が本当に十分伴う労働なら、きっと心地良い労働になるに違いない。

 労働が変化に富んでいることから生まれる喜びについては、なんであれ何かを作ったことのある人なら、最初の見本が出来たときのうれしさを良く覚えているだろう。でも、まったく同じ物を永遠に作り続けるよう強制されるとしたら、いったいその喜びはどうなってしまうだろう。

 創造への期待感については、自分が作らなければまったく存在しない価値ある作品、素晴らしい作品を作り出すワクワクした気持ち、このうれしさを理解できない者などいるだろうか。

 同様に、役に立つ物を作り出したと思ったときに生まれる自尊心が労働を快くすることは、誰にも分かる。馬鹿者や馬鹿な集団の気まぐれを満足させるためにではなく、その品それ自体が本当に良いから、つまり役に立つから作るのだとしたら、一日の仕事をやり通すのもきっと楽になるに違いない。

 仕事をするときの、理屈で割り切れない感覚的な喜びについては、そのおかげで、荒っぽく骨の折れる仕事でもやってのけられるのだと、私は固く信じている。これは世の常として人々が想像するよりずっと強力な要素だ。いずれにしても、これは、どんな芸術を作り出す場合にもその根底に横たわっているのであり、まったく弱々しく荒削りの作品でも、作り出す場合には必ずこの感覚的喜びが伴う。
 
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 手仕事で味わうこの複雑な喜びこそ、すべての労働者が生まれながらにして持っている権利だと私は宣言したい。その一部でも欠けていたら、労働がその程度におとしめられているということだ。まったく存在しないなら、そういう労働をしている限り、労働者は奴隷というより(それでは表現が弱すぎる)自分自身の惨めさをそれなりに承知している機械でしかない。

  ■労働に喜びがあった時代
 こんな労働状況を生んでいる体制を変革することを願って、私はすでに歴史的観点から訴えてきた。歴史上の証拠をさらに明らかにし、この「喜びをもたらす労働」という主張は単にとっぴな夢物語ではなく、もっと確かなものに基礎をおいていることを論証していきたい。

 商業体制の発展以前、進歩への期待が盛んだった時代に作られてきた芸術品は、どの地方のどんな物でもすべて、見るべき目を持った者が見ると、その生産にあたって常にある程度の喜びがともなっていることが簡単に見て取れる。形式主義的に証明することがいくら困難だといっても、広く芸術を研究した人々には、これは十分に認められている事実だ。

 よく言われるが、「芸術を自称しているが、この作品は機械的に作られている」「何の感情もこもっていない」という批判の言葉そのものが、芸術家がふつうに持っている水準(芸術が健やかに実践されていた時代から培われた水準)についての感覚を十分正確に表現している。こういう機械的で感情のこもらない手仕事は、比較的最近まで存在しなかった。これが、金が支配する現代での労働のありさまであり、この支配ゆえにあらゆるところにそういう仕事が存在する。
 
                 ※      ※      ※

 もちろん、中世の職人がしばしば言語道断な物的抑圧をこうむっていたことは疑いもない。そして、職人が暮らす封建社会では、職人と支配者とのあいだに身分制度にもとづく厳密な境界が横たわっている。

 とはいえ、彼らの違いは本物というより、たまたまの生まれの違いだった。いわゆる「ジェントルマン」と呼ばれる教養のある中産階級と、尊敬に値する下層階級の人物のあいだには。こんにちのような深淵――言葉づかい、マナー、考え方における隔たり――は存在しなかった。芸術家に必要な精神的資質である知性、想像力、創造力などは、しのぎを削る競争市場のひき臼に砕かれることはなかった。また、「知的で洗練された」と名乗れるのは、富裕層(あるいは競い合いに成功した者というべきか)だけではなかった。

  ■知性を備えた職人の労働が、どう変遷したのか
 中世の仕事の状況について、もう少し見てみよう。手仕事はギルドで一括して行なわれ、従事する人間は確かに厳格に割り当てられており、門戸は狭く鍵は慎重に守られている。だが、ギルドの外では市場競争はほとんど存在しない。品物はそもそも家庭内で消費するために作られる。そこで余った物だけが生産地に近い市場に出されたり、求められて生産者と消費者とのあいだを行き来したりする。

 だから、ギルド内部では分業というものはほとんど存在しない。ある職業に男あるいは若者がひとたび徒弟として受け入れられたら、その工芸を最初から最後まで学び、当然の成り行きとしてその親方になる。親方が小資本家には程遠かったギルド制度の初期には、階層も存在せず、せいぜい、先に述べた一時的な差があるだけだった。そののち、ギルドの親方がある種の資本家になり、徒弟が親方のように特権を持つようになった段階では、見習い期間を終了して一人前になったジャーニーマンという職人の階級が生まれた。だがジャーニーマンでいるかギルドの特権階級となるかは、自由裁量で選んだもののようだ。

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つまり、この時代ずっと、職人集団は知性を備えた男たちだった。この労働スタイルのもとでは、仕事を早く仕上げろと大きな圧力が加えられることもなく、ゆっくり思案をめぐらしながら仕事をすることができた。一つの品を作るには一人の人間が全面的に関わり、一部を少しずつ多数の者が担当するわけではなかった。労働者はそれぞれの力量に応じて、自分なりにありったけの知恵を発揮することを学んだ。些細な作業の一分野に一面的にエネルギーを集中させる必要もない。すなわち、労働者は生き馬の目を抜く市場のために自分の手や魂を差し出す必要はなく、自由に人間的成長を追求することができた。

 人間が商業のためにあるという「教訓」などは学ばなかったけれども、商業が人間のためにあると素朴に考えていたこの体制こそが、中世芸術を産み出したのだ。自由な精神と知性の持ち主たちが仲よく協力し合うことによって、これまでの最高のレベルに達しており、現在でもその地平には到達できていない。あらゆる芸術のなかで、のびのびした自由な芸術と呼べるのはこれだけだ。

 これによって生み出された自由、そして当時広がっていた、というよりあまねく存在していた美的センスは、イタリアルネッサンスを爆発させた数多くの素晴らしい天才たちの作品にくっきりと影響を残している。輝かしいルネッサンスの芸術は、それに先立って五世紀にわたって培われた自由な民衆の芸術が結実したものであり、同時期に成長した商業主義が実を結ばせたわけではない。

 現に、商業主義の競争が熾烈になるにしたがって、ルネッサンスの栄光は不思議なほど急速に衰えていったではないか。だから、17世紀末には、知的芸術にしても装飾芸術にしても平凡な作品や抜け殻は残っていたとしても、その魂、そのロマンは無くなってしまったではないか。商業主義の発達を前にして、ルネッサンス精神はしだいに色あせ萎えていき、いまや商業主義が文明社会全体で勢いを増しつつある。

 家庭用の品も建築芸術の作品も、芸術どころか市場競争のおもちゃにすぎなくなりつつある、いや、なってしまった。いまでは、文明社会の人間が使う形ある物はすべて、この市場競争を経なければならない。もう今日では、先に見たような十分に教養ある職人たちの集団が手作業で行なっていた労働の体制(クラフト・システムcraft-system)はほぼ完全に破壊されてしまった。

 それに代わったのが、こう呼ばせてほしいが、ワークショップ・システム(工場―こうば―制度)だ。その完成形では、作業の分業は最大限可能なまで進められ、生産の単位はもはや一人の人間ではなく何人かの集団であり、その一人ひとりは仲間に依存しており、自分だけではまったく役に立たない。

 このワークショップ・システムでの分業は、次々と広がる市場の需要に刺激された階級――マニュファクチャーを進める階級――によって18世紀に完成された。それでもまだ小規模で家庭内工業といったたぐいのマニュファクチャー(工場制手工業)であり、ワークショップ創生期に残っていた職人制度の位置になぞらえることができる。

 先に述べたように、この制度のもとでは芸術におけるすべてのロマンは死んでしまったが、ありきたりなものはまだ全盛だった。というのも、マニュファクチャーという言葉の基本的意味であり目的である「品物を作り出す」という考えが、まだ新しいアイディアと闘争中だったからだ。新しい考えはそののちに完全な勝利を獲得したが、これこそ、工場主に利潤を生み出して労働者階級に雇用をもたらすという考え方だ。

  ■物を作るのではなく、利潤を生むことが目的になっていく
 商業のこの思想はたんに手段であるだけでなく、それ自身が目的でもある。だが、18世紀にはまだ発達途上であったため、工場制度といっても特殊にこの時期には、まだいっていの利益は製品づくりのために取り分けられていたと考えられる。

 この時期、資本家でもある工場主は、いわゆる「評判をあげる」製品の生産に一種のプライドを持っていたので、商業の歯車がいかに強引にのしかかろうとも、楽しみすべてをすすんで犠牲にする気持ちにはなっていなかった。雇われた労働者も、すでに芸術家ではなくなってはいてもまだ自由な職人だったから、自分の手作業の技術を失っていなかった。もちろん、それは一生かけて毎日毎日骨折らなければならない仕事全体からいえばほんの一部に過ぎなかったけれども。

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 だが、次々と開拓される新しい市場にさらに刺激され、また、人類による発明に突き動かされて商業はどんどん発達していった。その発明力は、ついには機械を編み出すまでになった。いまでは、機械は工場制生産には欠かせないものとみなされており、古くから手法が守られ確立されてきた手作業生産とは正反対のシステムを生み出した。

 ローマのプリニクスからトーマス・モアの時代まで、一つの品物を作る方法にはそんなに大きな違いはなかった。だが、こんにちのマニュファクチャーでは、十年ひと昔でやり方が変わる。いや、それだけではない、毎年変わっていくのだ。これはもちろんこの機械システム、工場制度の勝利によるものだ。

 工場では、ワークショップ時代に存在した機械のような労働者は、本当の機械に取って代えられている。いまや工員と呼ばれる労働者は、その機械の一部でしかない。しかも、その存在意義も人数もしだいにすり減りつつある。

 この体制は、まだまだ発展途上だ。だから、ワークショップ制度もある程度は併行して存在しているが、確実にしかも急速に工場制によって踏みつぶされていくだろう。そしてそのプロセスが完了すれば、もはや熟練労働者は存在せず、その部署は機械によって占められる。機械を管理運行させるのは高度な訓練を積み理解力に富む専門家数人で、技術も知性も必要としない大勢の人々――男も女も子供たちも――が機械に張り付く。

  ■不幸せな労働の呪いは社会を覆いつくす
 繰り返すが、このシステムは、イタリアルネッサンス――こんにちの教養ある人々でも喜んで認めることもある、あのルネッサンスだ――として咲き誇るまでに駆け上っていった民衆の芸術を生んだ労働体制とは、ほぼまったく反対のものだ。だから、このシステムが生み出すのは、昔のクラフト体制が生産した物と正反対であり、芸術の死であり、芸術の創生ではない。言いかえれば、生活を取りまく環境の劣悪化、ただひたすらに惨めで不幸せな状況を生み出す。

 この不幸せという呪いは、貧困に苦しむ人々から始まって、すべての社会に広がる。貧民たちの状況――私たち中産階級の人間は、いままさにそれを耳にして無邪気に驚愕している。貧しい人々は、せめて犬のような食べ物や犬小屋のような住まいではなく、少しはましなものを得ようと希望をつなぎ、人間とは思えないような力を出し全力で互いに競い合って生き残ろうとしている。彼らだけではない。下は貧困層から、上は教養ある洗練された階層まで呪われている。中産階級は良い住まいに住み、おいしいものを食べ、いい服を着て、金のかかる教育も受けてはいるが、人生への興味をまったく欠いてしまっている。あるとしたら、不幸さを美術として育成することへの興味だけだろう。

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 だから、芸術のどこかがおかしいにちがいない。それとも文明社会のなかでは幸せな暮らしも病むしかないのか。いったい何がその病の原因なのだ? 機械を使った労働のせいだと皆さんは言うのだろうか? さあ、どうだろう。かつて、水車が作られたおかげでひき臼を回すつらい労働から解放されたことに欣喜雀躍している古代シシリアの詩人の詩を聞かせてもらったことがある。これこそ、いわゆる「省力機械」の発明を予見したときに人が当然抱く希望ではないだろうか。自然な感情だろう。

 芸術の要素を含む労働には喜びが伴うべきだとさきに述べたが、そうは言っても、なかには喜びとは無縁でもやるべき労働もあることは否定できない。必要でもないし苦痛なだけの労働も多くある。機械システムがこんな労働を最小限にするために使われるならば、この素晴らしい発明はとても役に立つことになる。

 だが果たして、そうなっているだろうか。世の中を見回してほしい。そうすれば皆さんも、「現代の機械というものが、いったい一人の労働者の労働を一日でも軽くしたのか。私は疑問だ」と言ったジョン・スチュワード・ミルの意見に賛成するに違いない。なぜ、私たちのあたりまえの望みがこんなにも打ち砕かれなければならないのか。

 それはまさに、機械の発明が厳然たる事実としてある現代においては、機械は決して労働の苦痛を無くすために発明されたわけではないからなのだ。「省力機械」という語句は、言葉が省略されていてあいまいだ。じっさいに意味するところは、労働経費を節約する機械であって、労働そのものを節約するわけではない。労働が節約できたら、その分、労働者は他の機械に対応するために使われ、労働は延長される。

 なぜなら、すでに述べてきたように、ワークショップ・システムの下で受け入れられ始めた「教義」は、工場制度が完全に発達したとはいえない段階であるとはいえ、いまや普遍的に受け入れられているからだ。その「教義」とは、簡単に言えば、マニュファクチャーの基本的目的は利潤をあげることだというものだ。

 出来上がった製品が世の中の役に立つかどうかなんて、些細なことで考えるに値しない。一定の価格でそれを購入する人が見つかれば、それでいいのだ。生産に携わった労働者には、生活必需品と少しの慰めを出来るかぎり最低限だけ与え、雇用主たる資本家に褒美として一定部分を残す価格であればいい。

 資本家の利潤づくりと労働者の雇用づくりということがマニュファクチャー(工場制手工業)のただ一つの目的(あるいは、生活のただ一つの目的といってもいいぐらいだが)となっているわけだが、この教義はじっさいのところ、ほとんどすべての人に受け入れられている。だから、この必然的帰結として、労働は決して制限されてはならないし、マニュファクチャー(工場制手工業)や商品販売によって社会がどんなに悲惨な状態になろうとも、労働に制限を加えようと試みるなどは愚かしいというよりも邪悪な行為だということになる。

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 こうした迷信――商業それ自体が目的であり、人間は商業のために存在し、商業が人間のためにあるのではないという迷信――こそが、芸術を蝕んだ。悪いのは、決して、この迷信が実行に移されたときに駆り出されてきた器具機械ではない。

 現在私たちは、まさに機械や鉄道などにコントロールされてしまっている。だが、なんとしても利潤と雇用を追求しようとして、「社会」とはとても呼べない腐敗と劣悪な無政府状態を確立したりしなかったら、逆に私たちが機械をコントロールしていたことだろう。

 今夜を含めてあらゆる講演で私がめざしているのは、この混乱状態とその明らかな結果をおかしいと感じてもらうことなのだ。そもそも、あるがままの現状に皆さんが満足しているなんて考えること自体、皆さんへの侮辱になると思う。

 皆さんが、たとえば、美しいこの町からすべての美が消えてなくなることに満足しているなんて。バーミンガム周辺の工業地帯の汚らしさや、コベットが腫瘍と呼んだ最大の人口密集都市ロンドンの醜さ、文明社会で暮らす人間が逃れられない見苦しく下劣な環境に皆さんが満足しているなんて、それは失礼だろう。そして、そうした言いようのない吐き気を催す生活よりもひどい状態で人々が暮らしているのに満足しているなんて、ありえないだろう。

 先にも述べたように、そういう生活の詳細は、まさか知ることもないと思っているどこか遠くの不幸な国の物語のように、ときどき私たちにも聞こえてくる。だが、考えてもみてほしい、それこそ、この混乱状態、つまり私たちの社会を造っている土台、必要不可欠な基礎組みなのだ。

  ■中産階級が描く理想社会は?
 ここにいる皆さんはすべて、文明(まあ、婉曲にそう呼んでいるわけだが)の欠陥の改善策について、たとえおぼろげだとしても何らかの考えをお持ちにちがいない。それに、経済体制が唱える教義もよくご存知だろう。この教義は現在の宗教と言ってもいい。これが、昔からの宗教の教義――義務を果たし、必要とする者には祝福を与える――に取って代わってしまった。人が友だちに物をあげれば両者ともにそれによって幸せになるが、金持ちが貧乏人に施せば双方とも必ず惨めになる。両者は友だちどうしではないのだから。

 こうしたなかにあっても、きっと、皆さん一人ひとりは現在の暮らしよりもましな暮らし方について、なんらかの考えを持っているにちがいない。なんらかということは、つまり、永久的とも思える文明の欠陥を改善するうえで、その場限りの一時しのぎではない一定の方策ということだ。

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 私たち中産階級の人間が抱く、より良い時代の理想、しかも出来るかぎり可能で進歩的な理想というのは、次のようなものだと私には思える。

 まず、産業に従事する多くの労働者階級がいること、それもあまり洗練されていない方がいい(さもないと、やってほしいきつい仕事をしなくなるだろう)。快適な暮らしをしていて(とはいえ、中産階級が味わっているような快適さではない)、それなりの教育を受けていて(受ける余裕があるなら、ということだが)、過重な労働で酷使されてはいない。つまり、労働者にしては働きすぎていないということだ。労働者にとっての軽い労働といっても、洗練された中流階級には少し過酷だろうから。

 この働く階級が社会の基礎であり、その存在があるから、「洗練された」階級も良心の呵責もなくずいぶん安心して過ごせる。この洗練された階級から、労働者を指揮し監督する者(言いかえれば高利貸しだ)や人々の道徳意識を宗教的・文学的に指導する者(聖職者、哲学者、新聞記者)、そして最後に、(そんなことが考えられるとしたら)芸術の指導者が生まれる。
 第三の階級(その機能は定かではない)が在るか無いかはともかく、労働者階級と中産階級は善意に満ちて共に暮らす。中産階級は恩着せがましくなく下層階級を助け、下層階級も屈辱感を持たない。下層階級は自分たちの地位にまったく満足しており、両者にはなんの敵対感もない。

 ただし(いくらこんなユートピアを夢想する者でも、個人レベルの競争が必要だという考えは払い落とせないだろうから)、こんなに恵まれており尊敬されている下層階級でも、目の前にぶら下がる幸運をもっとつかみたいと望むことだろう――自分だけは上流階級へと成り上がり、労働者という固い殻など脱ぎ捨てたいと。

 それに、下層階級はふさわしい政治や議会における力を欠いているということも問題だろう。すべての人間が(あるいはほぼすべての人間が)、投票箱の前では平等なのだから。ただし、他のものと同様に、票が買えるかぎりは平等ということだが。

 こういう状態が、中産階級の進歩派リベラルが描く理想的に改革された社会だと思われる。世の中すべてが大なり小なり中流市民・ブルジョアとなり、商業競争の支配のもと平穏を味わい、心の安らぎを得て、すべてのものごとに立派な良心で接する。ただし、早い者勝ちのルールのもとでだが。

  ■そんな「改善」は実現可能なのか
 まあ、これがほんとうに実現できるなら、私には、別に反対する理由もまったくない。ひょっとしたら、宗教も道徳も芸術も文学も科学も栄えるだろうし、世の中は天国のようになるかもしれない。だが、そんな改革はすでに試験済みではないだろうか。何人ものひとが歓喜に満ちて演壇に立ってはそういう良き時代が早く降臨するように語ったのではないのか。政治家が一般的なテーマで大衆に呼びかけるときはいつでも、労働者階級がどんどん繁栄していくと触れられているではないか。もっとも、その政治家が党内の駆け引きを忘れて、労働者について触れることを覚えているときでないとだめだが。

 現実がどんなに嘆かわしいほどこの理想とかけ離れているかは承知しつつも、その実現を固く信じている人々がおおぜいいることは分かっている。自分の時間や金を費やし楽しみも犠牲にして、それどころか不利益も顧みずに、この理想を実現しようとする人はたくさんいる。戦いを嫌い平和を愛し、心優しく野心も持たず、一生懸命努力する人たちだ。

 彼らは何をなしえたのか。選挙法改正のときと比べて、穀物法廃止のときと比べて、いったいどれだけその中流市民共和国の理想に近づいたのだろう。自己満足の鎧に少しひびが入り、無くすべきは商業競争の体制が生み出す災難ではなく体制そのものではないか、という疑念が湧いてくる――たぶんこの程度には、偉大なる変革に近づいているかもしれない。だが、人道主義と品位に満ちた理想の体制に改革されたかといえば、干し草の山に乗って月に近づいたというようなものだ。金銭・賃金問題については、そう多くを語りたくないが、この体制の本質である恐ろしいまでの貧富の落差についてだけは触れておきたい。いっていの限界線すら下回る貧困は、劣悪な奴隷状態そのものなのだから。

 ここに、富裕な中流階級の楽天的な人が作った資料がある。それによると、イギリスの労働者家庭の平均的年収は100ポンドだという(訳者注:一人の平均年収ではなく、一家庭の年収というところに注意)。こんな数字は信じられない。きっとインフレ時に膨れ上がった数字だろうし、しかも、大半の労働者が直面している不安定な雇用状態を無視している。

 それを別にしたとしても、どうか、お願いだから「平均」などというものに逃げ込まないでほしい。少なくとも、特定の場で働く特別な待遇の労働者層が受け取る高額賃金が平均を引き上げており、工場地帯では労働者家庭の母親なども駆り出され働いており(もっとも忌まわしい習慣だ)、その賃金も一家庭の平均に含まれている。ほかにもいろいろあるだろうが、この平均を出した人は明らかにしていないから、見た人が自分で見つけ出すしかない。

 だが、これが問題の中心ではない。まったく働かない多くの人がその10倍もの年収を得ながらも貧乏だと嘆いているかたわらで、多くの民衆が苦役して平均100ポンドもの高額を一年で得ていると言われても、私はとても救われた気持ちにはなれない。なぜなら、現に、イーストエンドの造船所の門の前では、千人以上の男たちが、劣悪な賃金でもいいから、せめて何人かでも働かせてもらえるのではないかと一日のほとんどを立ちん坊で待っているではないか。それに、イングランドのほとんどの地域で農場労働者の普通の賃金は週10シリングではないか。しかも、農場主からもそれは破壊的だと考えられている。

 こういう状態が続いているのに「平均」で満足なら、どうして労働者階級だけの平均でとどめるのか。どうして、ウェストミンスター公爵から始まって国民全員を計算に入れないのか。そして、イギリス国民の収入を誉めそやして高らかに讃美歌でも歌えばいい。        (続く)



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